1)事故の概略
羽田を1985 年8 月12 日午後6 時12 分に出発した日航機123 便は、伊豆半島南部の東岸上空を巡航高度24,000 フィート (7,300 m) へ向け上昇中23,900 フィートを通過したところで、機内で大きな爆発音が聞こえ、その後油圧系統が利かなくなり操縦不能になった。
その後迷走状態で、東京都奥多摩町から北西方向に飛行し、長野県、埼玉県、群馬県が接する点から2 ㎞ほど北西の地点、御巣鷹山山麓に同日午後6 時56 分頃墜落した。(飛行ルートはウィキペディア参照)乗客4 名を除いて、乗客乗員520 名が死亡すると言う航空機事故史上空前の事故となった。
https://www.youtube.com/watch?v=AMsX9UCWHuU (動画1)
事故の原因と対応に疑問を残しながら、事故から2 日後と言う異例の早さでボイスレコーダーの解析前にも拘わらず、圧力隔壁の破壊により操縦不能に陥ったことが原因とされた。2 年後の1987 年6 月19 日に正式に事故報告書は出されたが、その時の結論も同じであった。
https://www.youtube.com/watch?v=cY_3uA0_zY4 (動画2;補足1)
それによれば、事故機は7 年前に着陸の時に尻もちをつき、製造元のボーイング社が修理している。その際修理が不十分な形でなされたため、機体後部で機内空気を支える圧力隔壁が飛行中の振動による金属疲労で突然破裂したとされた。機内空気が一挙に流れ出し、垂直尾翼の一部を吹き飛ばした結果、油圧装置の損傷と方向陀喪失等により操縦不能に陥ったというのである。
この事故のモデルで納得する人は当時から少数であった。何故なら、次節にあるように機内の情況から減圧はそれ程急激ではなかったと考えられるからである。急激な減圧でなければ、垂直尾翼が吹っ飛ぶことは無い。
それに代わって、自衛隊のミサイル演習で無人の標的機が日航機に衝突したという説など、自衛隊のミスが原因であるという説の方が、単行本や後にyourube 動画などでも多く紹介されている。(補足2)
自衛隊のミスで520 人の死者を出したとなれば、当時中曽根内閣が検討していたミサイル防衛構想や米国レーガン政権が進めるSDI (戦略的防衛)構想への参加が、国民の反対で不可能になる。そこで、日本航空とボーイング社の協力で、圧力隔壁破壊説をでっち上げたというのである。
次節以降の内容は:
第2節: 上記圧力隔壁破損原因説が成立する程の機内空気圧低下があったのかどうかの検証
第3節: 事故後相模湾海中で発見された垂直尾翼の3つの破片の部位および形状と、それらが圧力隔壁破壊による高速空気流により発生したとする説との整合性の考察
第4節:事故前後の政治情況など社会的な側面からの議論少々。
2)圧力隔壁の破壊により垂直尾翼が吹き飛んだというモデル
事故調査委員会では、圧力隔壁の破壊で機内空気が噴出して、急減圧が起こったとしている。しかし、あるテレビ局が米国取材などをおこない、急減圧の人体生理への影響の検証実験を試みた上で、事故生存者の証言などを考察し、それを否定する動画をつくっている。航空生理学の大島正光東大名誉教授は、その時の日航機の機内で起こった減圧は、緩やかなものであったと結論している。
政府側の権威ある事故調査委員会の結論を否定するこの報道番組は結局放送されず、23 年後(多分2008 年)にネット上に公開されたのである。従って、そのタイトルは“初公開・23 年前に製作されてお蔵入りになった番組:日航123 便墜落事故検証特番”である。 (動画3)
VIDEO
その中で、何らかの理由で機内の圧力が0.8 気圧(当時の機内圧)から外気の0.4 気圧(上空7㎞)に急速減圧が発生した場合、通常耳の鼓膜は破れるなどの障害が発生し、酸素マスク無しでは数分で気を失う筈だと、米国での実験を通して説明している。生存者の落合由美さんや川上慶子さんは、日航機123 便の中ではそのような情況ではなかったと語っている。(動画1参照)
実際機長らのボイスレコーダーの音声からは、酸素マスク無しでやり取りしていたと考えられるし、客室内でも直ぐに酸素マスクを着けている様子はなく、スチュワデスらが不時着の際の安全姿勢などを説明して回ったという話が伝わっている。
つまり、機内圧はそれほど低下してはおらず、機内から機外への急激な空気の流失で垂直尾翼が吹き飛なされたなどとは考えられない。政府がつくった事故調査委員会というのは、このように政府の都合に合わせて調査結果を捏造することが明らかになったのである。
その場合、真実を明らかにすることは、国策に逆らうことになる。それが多額の取材費用など掛けながら、放送を見送った理由だろう。これが日本のマスコミの実態である。
その他、迷走する日航機を自衛隊戦闘機が撃墜したと主張する動画もある。それは、都市部への墜落を考えた場合、あり得ないことではない。その他、通常の感覚では考えられない現場の様子を想像で示すものもかなりあるが、私には十分には確認できていないので省略する。
3)数日以内に相模湾で発見された垂直尾翼の破片が語ること:
次に紹介する動画では、日航123 便飛行機の垂直尾翼がどのように破壊されたかに注目し、専門家の意見も紹介しながら、事故原因に迫っている。https://www.youtube.com/watch?v=oRAsXEexato (動画4)
VIDEO
この動画で示されている図の幾つかを抜粋し、垂直尾翼の損壊の詳細とその損傷の原因について、相模湾で発見された破片と撮影された事故機の機影から考察する。
奥多摩で撮影された墜落直前のジャンボ機と完全な同型機の姿が比較された図が、動画4で示されている。その姿から、事故機において垂直尾翼のかなりの部分の欠損が確認される。
考察をする前に、先ず簡単に垂直尾翼の構造の概略を説明し、相模湾で事故後数日以内に発見された尾翼破片とそれらの元々の部位を示す。下図は、動画内の図を抜粋し合成したものである。
図中にも説明があるので繰り返しになるが、垂直尾翼は右上図のように三つの部分から構成されている。前に垂直安定板(緑色)と呼ばれる部分、真中の堅牢な柱のような部分(紫色)、そして後ろの方向舵(赤色)である。中央の垂直尾翼全体を支える部分は、下図真中に示したようなボックス構造に作られており、非常に堅牢である。
相模湾で事故後数日以内に垂直尾翼の三つの破片が図左のA, B, Cである。 これらが元々垂直尾翼のどこに存在したのかを図右下のA、B,Cが夫々示している。しっかりとした構造の破片AとCが垂直尾翼中央の柱的構造を隔てて、落下していること、そしてAの垂直安定板の一部は、堅牢な垂直尾翼のボックス構造の柱の一部とくっついた形で回収されている点が注目される 。
この三つの破片が、全体としても堅牢な垂直尾翼の構造を破って、最も堅牢な部分の中央の柱構造を残して別々に海に落下していることは、圧力隔壁の破壊による空気圧の解放では説明しにくい。機内からの空気圧で吹き飛ぶとしたら、最も大きな応力(荷重)が発生する根元から垂直尾翼の全体がはぎとられる形が自然だろう。
破片Aと破片BとCは、それらを隔てる垂直尾翼中央が墜落直前まで残っていた(機影を重ねた一つ上の写真)ことと、破片Aがその最も堅牢な部分の一部をともなって剝ぎ取られていることを考えると、それらは同時であっても別々に働いた力で、尾翼中央からはぎとられたと考えるべきである。
従って、方向性を持った外力が、垂直尾翼の少なくとも二カ所に別々に働いた結果、破壊したと考えるのが自然である。また、破片Aの剥ぎ取られ方に注目すれば、東京大学航空機構造力学の近藤恭平教授が語っているように、垂直尾翼全体に作用する空気圧が原因なら、中央のボックス構造は残して、垂直安定板の部分のみが剥ぎ取られるだろう。
近藤教授が、破片Aの異常な剥ぎ取られ方について以下のように語っている。(動画の26分57秒)「先ほどまでのビデオテープを見ますと、そのような特別の荷重が掛かったようには思えないのですが、今まで考えても見なかった違った種類の荷重 がかかりこわれたのではないかと思う」と解説している。
「先ほどまでのビデオテープ」とは、恐らくこれまで想定されていた事故に関する情報が映されていた映像のものだろうと考えると、この言葉は圧力隔壁が高速空気流で破壊された訳ではないという意味であると理解できるだろう。学者独特の抑制された言い方である。
このような情報を頭に置いて、奥多摩で撮影された機影を見ると、垂直尾翼の上部前方が欠けていること、中央の堅牢な部分の殆どが残されていること、方向舵は多分大部分無くなっていることがより明確にわかるだろう。
この動画(動画4)でも、垂直尾翼の60%が失われていると語っているが、それは事故調査委員会の公式発表に引きずられた発言だろう。写真からは、実際は断面積として30‐40 %程度無くなっているに過ぎない。そのような垂直尾翼の前方上部から後方下部に至る幾つかの部位が吹き飛ぶことは、何かの構造を持った物体の衝突か、何かが衝突後に爆発したことが原因と考えるべきだろう。
以上から、自衛隊のミサイルか標的無人機かはわからないが、何らかの飛行する物体或いは何か爆発物の衝突により、方向舵と油圧コントロールシステムを失ったのが、日航機墜落の原因だろう。中曽根内閣が、米国政府 とも相談の上、この事実を隠蔽したというのが私の結論 である。
非常に不思議なのだが、垂直安定板の上部の破片については、上記動画を除いて殆ど重要視されていないことである。ウイキペディアにも書かれていない。もし相模湾海底に発見された尾翼の一部を回収しても、これ以上の重要な情報を語らないだろう。
この動画は、事件後数年以内に作られたと想像するが、動画3同様、最近まで公開されなかったのかもしれない。
4)日米の政治とのかかわり:
ボーイング社が、いい加減な修理をした結果重大事故に繋がったとされたが、その報告の結論をボーイング社も数日で認めた。その結果、事故での死傷者に対する賠償責任を日本航空、ボーイング社、日本政府が共同で負うことになった。米国の会社がこのように素直に過ちを認め、賠償に応じることは非常に不思議である。
その後、日本からの航空機発注は主にボーイング社になされ、日本市場はボーイング社のほとんど独占状態となった。その日本市場における好業績は、誰しもが泥を被ったボーイング社への見返りかもしれないと考えるだろう。
事故調査委員会報告書のような原因なら、ボーイング社の修理担当は、業務上過失致死罪という刑事罰の対象となる筈である。しかし、型通りの告発はされたようだが、実際に罰せられたと言う記録はみつからない。また、第116 国会(1989 年10 月)において、北村哲男議員がこの件について質問をしているが、答弁は告発の事実以外は答えかねるというものだった。
当時、日本は中曽根内閣の下で、新しいミサイル防衛構想が議論されていた。また、1983 年にレーガン大統領が戦略防衛(SDI )構想を発表し、1985 年3 月に米国は日本を含む18 ヶ国にSDI への参加招聘を行なっている。https://www.jiia.or.jp/pdf/asia_centre/jimbo_bmd.pdf
中曽根内閣もSDI 構想に強い関心を示していたが、世論の反応を非常に気にしていた。その様な時期に、自衛隊の演習の結果大事故に繋がったとすれば、隠蔽する動機は十分である、SDI 構想への参加を招聘している米側としても、ボーイング社に協力するように圧力を懸ける(工作する)動機は十分にある。
日航機123便事故が、自衛隊のミスにより引き起こされたが、日本政府、米国政府、日本航空、ボーイング社の4 者で責任転嫁がなされたとする解釈は、日本政府が国防政策を米国に完全依存する形で進めていること、米国は東アジアでの中心的戦略として二重封じ込め政策を執っていることと整合的である。(補足3)
終わりに:
この日航機123 便墜落事件について本も幾つか出版されている。動画での解説も多いし、更に映画まで作られているという。しかし、それらは真実を知る上で参考にはなるが、同時に障害になる可能性もある。何故なら多くは真実追及以外の何等かの動機を以て作られているからである。それらの中から特に事実解明を主目的にしていると評価される二つの動画(動画3と4)に注目し、自分の考えも追加して紹介した。
これらのほかにも、重要な情報を紹介したと思われる動画があるが、私には真贋の判断ができないので、紹介は避けた。例えば:https://www.youtube.com/watch?v=2mDZnbc1DuM この動画では、日航機は自衛隊の無人標的機と衝突して操縦不能となったので、自衛隊はジェット機を二機追跡させ、最後には撃墜したと結論している。
補足:
1)動画2の後半では、パソコンOS として日本で開発中であったTRON の開発を妨害するための撃墜だとする説、プラザ合意との関連させる説、その他政治利用などのための捏造された説など、この事件に対する諸説が紹介されている。
2)自衛隊のミスを隠すために乗客が生き残らないように、火炎放射器で遺体を焼いたという類の話もあるが、それは日本人だけの世界では考えられない。以下の動画にはその他様々な悍ましい話が出てくる。一部は真実だろうが、このような悍ましい説は味噌(ここで紹介の説)に糞を混ぜ込む方法で大衆を混乱させるために流布されたものだろう。https://www.youtube.com/watch?v=U3XbTlZpph8
3)二重封じ込め戦略とは、日本の軍事力を日米安全保障条約という形で米国の監視下に置き、米国に刃向かう事の無いように封じ込める。更に、その軍事力を米国の指揮下において、例えば中国を封じ込めるという戦略である。日本の自衛隊は有事の際には、米国の指揮下に置くという密約があると言われている。
二重封じ込めは、完全ではないかもしれないが、ドイツなど西欧諸国にも用いられていると考えられる。ウクライナ戦争を見るとわかるだろう。
(9:45; 数語句の修正;17:00, 20:30全体を編集;1/13早朝、全面的に改訂、補足3追加等;1/14早朝再度編集の上、最終稿とする)