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2015年4月10日金曜日

昨日の最高裁の判断:校庭でサッカーをしていた子供の親に責任がないのか?

小学校の校庭から蹴り出されたサッカーボールが原因で交通事故が起きた、2004年の愛媛県今治市での事故に関して、ボールを蹴った小学生(当時)の両親に賠償責任はないという判決が、9日、最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で出された。理由であるが、「日常的な行為のなかで起きた、予想できない事故について、当事者の子供の親にその賠償責任はない」とのことである。 http://www.asahi.com/articles/ASH486HS1H48UTIL03V.html

事故は小学校脇の道路で起きた。バイクに乗った80代の男性がボールをよけようとして転倒し、足を骨折。その後認知症の症状が出て、約1年半後に肺炎で死亡した。遺族が2007年、約5000万円の損害賠償を求めて提訴。二審は、ボールを蹴った当時小学生だった男性の過失を認め、「子どもを指導する義務があった」として両親に計約1100万円の賠償を命じたが、両親が上告していた。

この裁判の判決は、方々で司法の方針転換の様に報道されているが、新聞記事などを読むと(中日新聞4/10朝刊一面)、非常に微妙な問題であることが判る。この件、「子供の起こした事故の責任を、親が負うかどうかという問題で、最高裁は親に責任は無いという判断を示した」という様にとられかねない報道もあったが、それは誤解である。論点はその小学生に「原因となった行為について、事故に至る危険性の予測ができたかどうか?」である(注1)。第一審も二審も、子供に危険性の予測ができたからという理由で、民法の規定により親に賠償責任が負わされる判決が出された。今回の最高裁の判断は、「子供に危険性の予測は困難だったので、親に賠償責任は生じない」であった。つまり、本質的には、下級審とは事実認識に差があったと言うだけである。

子供がフリーキックの練習をしており(中日新聞紙上の事故のイメージ図)、ゴールの向こうは一般道であるから、ボールが一般道に出て交通の障害になることは十分考えられる。従ってサッカーゴールは、小学生の日常的なサッカー練習に於ける蹴りでは、ボールが一般道にでない様に設置されている筈であるし、学校はボールを一般道に蹴り出さない様にと指導していた筈である。この点に疑いがあれば、それは校庭管理者である学校の責任が問われることになる。更に、子供のキック力が通常のこどもよりも格段に大きかった様な場合、つまり、その小学生が一般のサッカースクールなどで訓練をしていた様な場合、校庭で練習をする場合に特別の注意が必要だったと言うことになる。その場合、その子供には特別の注意がされるべきであるし、もしそれがなかったのなら、両親などに責任の一端があると考えられる。

以上二つのケースのどれにもあたらない偶発的な事故であると、最高裁は判断したのである。

注釈:
1)危険性が予測出来たのなら、子供に過失があったことになり、子供の親が事故の賠償責任を負うことになる。

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