2015年5月30日土曜日

習近平氏の二階氏訪中団大歓迎について

自民党の二階氏が3000人を引きつれて5月下旬中国を訪問し、習近平氏と会談した。今日の週刊ニュース新書は、その二階氏とホストの田勢氏との「今後どうなる?日中関係」というタイトルでの話合いだった。先ず、二階氏から習近平氏の好意的な対応が話された(注1)。その後、最近の中国と日本の市民レベルでの交流などを混ぜて、日中の関係改善の兆しについて話が進んだ。ただ、二階氏や田瀬氏は、日中の外交関係と日中の市民関係とを一緒にして議論していたのは、政治家と評論家の話として不思議に思った。

また、二階氏が北京の大学で講演を行い、「日本人ほど戦争が嫌いな人種はいないのだ」と話したという話に、田勢氏が「それを信じてもらえるだろうか」などと応答していた。安倍総理によって発表が予想されている70年談話や安保法制へも話は進んだが、短時間の番組なのであまり本質的な議論にはならなかった。田勢氏は、安保法制の議論が今一つ国会で熱くなっていないと言及したが、国民の大半が同意できるような議論は元々不可能だろうと思う。

今朝のヤフーニュースによれば、中国は最近埋め立てて国際問題になっている南シナ海の島に、武器を配備し始めたことで問題を更に大きくしている(産経新聞5/30配信;ウオールストリートJ電子版28日)。このような世界の情況と比較して、あまりにもナイーブな議論だった。習近平氏は、「押してもダメなら引いてみな」という戦略で、太平洋への勢力拡大を目指して、日本と米国の連携にクサビをいれるべく、先ず日本の与党の分断に動いていると解釈すべきだと思うが、そのような認識は両者から示されなかったと記憶する。

安倍政権をどのように攻撃するか?を念頭におくと:今回、友好姿勢を先ず強調し、それを”本来の日中関係”として背景にセットする。次に、70年談話か何かのチャンスがあれば、安倍政権を強く批判する。その際に、背景にセットした日中友好関係が、”安倍氏でなければあの様な日中友好関係が可能だった”と反安倍勢力の拡大に役立つのである。「いったん上げてから、ドスンと落す」古典的な習近平主席の手法に、二階氏は協力しているのだ。

その戦略に乗らない為には、70年談話を工夫すべきである。4月中旬ブログに書いた様に、 http://blogs.yahoo.co.jp/mohkorigori/56905762.html 村山談話の中心部分をそのまま読み上げ、それを安倍政権も踏襲するという形で、過去の戦争中の出来事に対する日本政府の姿勢を話すのが良いと思う。そうすれば、何度も何度も現在形で謝罪をするという不自然さと、発表する安倍総理とそれを聞く日本国民の抵抗感を減少させられる。

5月15日には、8人のスタンフォード大学の研究者が、それぞれ、「自らが首相であれば何を述べるか」をテーマに「太平洋戦争終結70周年に考える」を作成し、そのブックレットを公表した。その”米国の学者8人、「私なら70年談話をこう語る」”の中で、米国スタンフォード大学のダニエルスナイダー教授によって書かれた案と、上記ブログの案は村山談話の復唱を提案する点で良くにている。

あとがきでの、「イツカ向コウデ」と題する長田弘氏の詩(注2)は、この番組を見た収穫だった。この詩は、今回の週刊ニュース新書の総括の様だった。番組の討論はあまり内容がなかったが、この総括だけ完璧に思えたのは不思議だった。

補足:経済的関係を悪くして日本資本が中国から逃避するのを避けたいという本音はあると思う。伊藤忠の新たな投資や、最近のヤフー日本とアリババの協力など、本音で大歓迎だと思う。

注釈:

1)習氏は23日夜、北京の人民大会堂で開かれた交流式典に突然姿を見せ、「 “朋(とも)あり遠方より来る、また楽しからずや”。3000人余りの日本各界の方々が遠路はるばるいらっしゃり、友好交流大会を開催する運びになった。われわれが大変喜びとするところだ」と孔子の言葉を引用しながら笑顔であいさつした。http://www.sankei.com/world/news/150526/wor1505260011-n1.html

2)長田弘氏は5月3日胆管ガンでなくなったとのことである。紹介された詩の全文を以下に再録する。

人生は長いと、ずっと思っていた。間違っていた。おどろくほど短かった。 きみは、そのことに気づいていたか?

なせばなると、ずっと思っていた。間違っていた。なしとげたものなんかない。 きみは、そのことに気づいていたか?

わかってくれるはずと、思っていた。間違っていた。誰も何もわかってくれない。 きみは、そのことに気づいていたか?

ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。 きみは、そのことに気づいていたか?

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。 きみは、そのことに気づいていたか?

サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。

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