2016年2月9日火曜日

人間は孤独な生物

元巨人軍選手、清原氏逮捕に関連したニュースが毎日テレビで報道されている。今朝も“特ダネ”で放送されていた。多くは興味本位の報道であり、品が悪いと思う。その報道を利用するのはちょっと後ろめたいが、報道された清原氏の言葉が気になった。スターであり多くの知人らに囲まれていた筈の彼が、「寂しい」と漏らしたというのだ。それが、覚せい剤との縁がきれなかった理由の一つではないかと思う。「人間は孤独な生物」投稿の切掛である。

テレビのワイドショウで屡々紹介されるのが、芸能界で有名だった人たちの孤独な死である。ここ2、3年では、大原麗子さん(補足1)、飯島愛さん、淡島千景さん、山城新伍さんなどである。 http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120319/enn1203191545006-n1.htm 孤独な死と対照的な追悼の言葉の虚しい響きに気づく人も多いと思う。 

個々の人生を一般人で見るのは困難だが、芸能人の人生はマスコミで詳細に紹介される。周りに人が集まる芸能人でも、このような孤独な人生があるのだから、一般人なら尚更のことである。

現代人は孤独である。いくら有名であっても、本質的に孤独であり、何時かはそれを実感するのだと思う。それは、科学的文化と経済の豊かさの享受と引き換えに支払った代償なのかもしれない。なぜなら経済的豊かさは、人と人の関係を希薄にする。それは、エネルギーが与えられた液体の水が蒸発して気体になるのと相似である。

19世紀の終わり頃、ツアラツストラ(ニーチェ)は「肉体が全てであり、精神は肉体の道具である」と言い、人の心から“超自然的”な神や仏の放棄を迫った。そして今年、嗅覚の鋭い人が「家族という病」という本を書いたように、家族というつながりさえ失いかけている。

その孤独感に起因する人の生態は、成長の途中にある学童たちの集りにおいて、より明確に観察されるように思う。独立した人格を持たない子供たちが持つ孤独への恐怖が、LINE(詳細は知りませんが。。)などにしがみ付くことや、虐めの共犯者となることを助長するのだと思う。

政治の世界でも、独立した人格が民主主義の前提である(補足2)。しかし、人間は完全には独立した人格を持たない。それは、人間が他の動物とは異なる点であり、社会性を持つことと等価であり、且つ、知性の源泉でもあるというのが私の持論である。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/09/blog-post_2.html

孤独感は、人間が独立していないこと、つまり、幼児性を一生持つことから生じるとすれば、人間の宿命ということになる。この独立していないことが、自分を他人との関係において認識し(補足3)、且つ、両方とも世界において同等な存在であると意識する特異な能力の背景ともなっていると思う(これは独自説だろう)。

広い草原で狩りをするトラの姿には、独立した者の風格を感じる。しかし、成獣のトラにとって他のトラは(繁殖期以外では)、象やシマウマと同じく自分の生存の背景に過ぎないだろう。従って、トラは死ぬ間際でも寂しいという感情を持たないだろう。一方、のれんの中で酔っ払っている会社員のグループには幼児性を感じる(補足4)。http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120314/302385/?P=1

“スポーツ界に君臨したトラ”とでも形容できる清原氏も、本質的には皆と同じ寂しい人間である。

補足:

1)芸能ニュースに詳しければ、今年死亡した元スターの名を何人か上げることが可能だと思います。http://www.excite.co.jp/News/column_g/20120222/Asagei_3896.html
2)小沢一郎氏の著書「日本改造計画」に述べられている。
3)外の方向から自分を見る目、つまり自意識を持つのである。
4)孤独感は、集団生活で生き延びてきた生物が、個体で存在する状況が長く続くと持つ不安感が原因で生じる感情だろう。他に依存することを上では幼児性の残余と表現した。これも単なる言葉の定義を弄んだことかもしれない。

=== これはあくまで自分のメモとして書いたものです。===

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