米国が戦後日本を徹底的に骨抜きにしておこうとしたことは、改めていうまでもない。その一つが日韓の完全分断であった。韓国を独立させ、最初の大統領に置いたのが、あの李承晩である。李承晩は青年期に米国留学し、その後日本の朝鮮総督暗殺疑惑で危なくなった時に、米国に亡命した独立運動家である。
戦時中、韓国の人たちも旧日本軍の将校などになることは誇りの理由になりえたし、神風特攻隊に志願した人たちもいた。必ずしも日韓関係は、韓国=反日というものではなかった。しかし、米国の旧日本を分断して統治(“divide and rule”)するという路線を李承晩が忠実に実行する中で、今日の反日が始まったのだという。このように証言するのは、元公安調査庁調査第二部長(国際情勢分析担当)の菅沼光弘氏である。https://www.youtube.com/watch?v=gQK6QrNCG3k
菅沼氏は更に、次の朴正煕大統領(補足1)が完全な独立国になるべく原爆保持を目指した為に、米国の指示により暗殺されたと証言している。これらの証言は、信ぴょう性が高いと思う。https://www.youtube.com/watch?v=xCTfGiUpZVc
韓国の経済は、朴大統領が当選したころは北朝鮮よりも貧しい状況だった。朴正煕大統領の経済政策により、1970年始めころになって漸く北朝鮮を経済的に追い越し最貧国から脱した。それには、朴正煕大統領と佐藤内閣の日韓基本条約締結と日本からの経済協力金の支払いが大きい。(ウィキペディア;対日請求権白書、1976年、韓国政府による)
その一方、韓国の日本評論家である呉善花は、「朴正煕執政下の1960年代に、韓国を日本に比較し文化的に優位に位置づける反日イデオロギーが国民に教えられた」と主張したとウィキペディアは書いている。
しかし、朴大統領が韓国民に自国の文化的優位性を教えたことは、反日イデオロギーとは言えないと思う。それは、李承晩時代に禁止されていた日本語教育を中高等教育において再開させたことからも分かる。独立国で自国の文化的優位性を教育するのはなんら不思議なことではなく、朴正煕大統領は現実的な政治家であった結果だろう。イデオロギーを国民に植え付けるようなことは、その現実路線に反する。
従って、反日を植え付けたのは米国傀儡政権の李承晩だと思う。その流れは韓国の、日本併合を恥辱と受け取る底辺での国民感情と共鳴して、最終的に大きな流れになったのだろう。朴正煕大統領は、その流れの中の反日というネガティブな効果しかない愚かな動きを、ポジティブな効果が期待できる民族の誇りの方向に誘導したかったのだろう。
補足:
1)満州国軍官学校、および日本陸軍士官学校卒業(1944年)した。1942年当時満州国軍中尉だった丁一権は、新京でしばしば会った際に“いずれ日本帝国主義が滅び韓国が独立する”との旨を朴正煕から酒の席で聞いたと証言している。(ウィキペディア朴正煕の項)朴正煕の先見性と自国を思う心が現れている。
尚大統領の職には、腐敗した選挙に対する批判で失脚した李承晩の後、1963年に大統領選挙に当選。任期は1963年から1979年側近に暗殺されるまで。
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