1)世界経済はバブル崩壊の寸前かもしれない。米国FRBは、不況に陥っても相対的に米国の被害が少なければ、この際世界は不況に陥っても良いと思っているのかもしれない。その証拠に、米国カンザスシティー連銀総裁は、「利上げを続けるべき」と発言している。
http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20160203-00000040-dzh-fx
英米系金融資本は、中国やその他の地域の優良企業を底値で買うことを考えているのかもしれない。英国以外の欧州や日本が金融緩和で、損な役回りを強いられることになるのではないか。ルールが無いわけではないが、ほとんど何でも有りの野生の世界(経済)に世界中を巻き込み、そこに君臨するのは何者なのか。
世界経済は意図的に進められたグローバル化で冷えている。先進国の中レベル以下の人は、自分の経済力がバブルであったと振返ることになるのでは。
戦争と犯罪は、それぞれ世界と社会の貧困の表現である。犯罪は、個人の資質とか能力などで説明されることが多いが、それは貧困化した社会の歪みがたまたま個人に集中した時の現象(自然な)である場合も多いと思う。
2)日本でも経済発展の中で、テレビの画面に頻繁に出る人間は押し並べて、高い収入を得、高級マンションに住み、そして高級車を乗り回す。それが自分の実力であり、バブルだとは決して思わないだろう。
元プロ野球のスター選手の名前が今朝のワイドショウで取り上げられていた。野球での天才的能力を、この社会は高値で買い、眩しいほどのスポットライトを当てた。しかし、野球を離れて一個人に戻った時、本来の自分は思った以上に小さく、自分だけの空間は意外なほど暗かったのだろう。誰でも、思わぬ落とし穴があれば、目が慣れるまでに転落する危険性は高い。
マスコミにとって、落とし穴に落ち込んだ嘗てのスターは格好の餌食である。落ちた人が悲惨であればあるほど、その放映により視聴率が稼げて利益となる。「嘘であって欲しい。夢であって欲しい」と白々しいコメントを発する嘗ての盟友も、その片棒を担ぐ。http://news.yahoo.co.jp/pickup/6189882
その悲惨な境遇の人は、多くの楽しい時間を大衆に与え、そして、あなた方に給与の源を与えたスター選手であったはずだ。それで視聴率を稼ぐなんて恥ずかしくないのだろうか。
勿論、彼は自分の意思でそのような道に進んだのだろう。道に迷う人は全て、自分で方向を決めて迷う。しかし、その状況に置かれれば、多くの人が同じように迷うのである。選択の自由とは、透明な高い壁で囲まれた道を進む人間が、自分は左右の方向に進む自由があると思い込む勘違いのことかもしれない。
その罪は、微罪とは言えないが大罪とも言えないと思う。そのようなニュースでプログラムを組むマスコミ関係者は、多くの場合もっと大きな犯罪行為には協力的なのだ。大衆には見えない世界全体に広がる罪のことである。
今日たまたま、現代の奴隷を世の中に告発し続けている人を知った。リサ・クリスティンという女性である。その中で紹介された悲惨な人間の姿は、“極大罪”の現場の一角であると思う(補足1)。経済発展の中で、一時のバブルを味わっている人たちも、その共犯者の末席に位置しているかもしれない。
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20151120-00001541-ted
補足:
1)“極大罪”の主は、その飛び出た尻尾をワザと摘み取る真似をする。ひょっとして、その類ではないだろうかと疑ってしまう。
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