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2016年2月21日日曜日

「自省録」中曽根元総理の回想録の感想

戦後総理の中でも長期政権を誇った中曽根氏が何を考えていたか知りたかったのだが、表題の本を読んだ理由である。しかし、内容が薄いという印象をもった。戦後日本を代表する元総理の一人が、日本政治を動かしたのがどのような力であったか、日本の世界における位置をどうかんがえていたか、将来の日本をどう予測していたのか、などを 知る上で参考になるだろうと思って最後まで読んだ。

日本の戦後政治はGHQの日本改造計画を元に進められた。それは、旧日本を数領域に分断(南北朝鮮、千島、台湾、日本列島)し、強力な軍備は持たさず、愛国心を国民から払拭して、二度と強国として立ち上がれない国にするという方針である。

日本独立後も、米国の対日方針が統治方針から外交方針になっただけで、内容が変わったわけではないと思う。GHQの影、或いは、GHQの残像が強く日本政治に残ったはずだが、この自省録にはそれがいくつかの具体例に見られるだけであり、体系的な記述は全く見られない。

例えば、吉田茂総理が、「(GHQから日本に)与えられた憲法の改正、日本の安全保障を担当する自衛隊(軍?)の必要性、教育基本法の改正などを訴え、堂々と“自分の国は自分で守り、米軍は早く返す”と、まっとうな議論をやっていたなら、今日これほどひどい後遺症は残らなかったと思います」と書いている。それは吉田茂の怠慢なのか、無能さなのか、米国の反対があってのことなのか、何の議論もない。

また、現在(2004年)の世界の紛争の理解も、アメリカと一部の“ならず者国家”との間のものと捉えている(212頁)。ならず者国家というのは政治家としては安っぽい表現だと思う。それらの国が何故ならず者になったのか、何故ならず者に見えるのか、それに大国の影響などないのか?それらについても、何も書いていない。

昭和の大戦と明治憲法の欠陥については述べているが、その欠陥が放置された理由については言及していない。また、運用の間違いについて、「明治の元老が亡くなった」ことに丸投げしている。軍、特に陸軍の奢りについて、少しでも議論すべきである。憲法改正(改訂でなく改正と書いている)についても、「一生懸命に説明しても国民が理解しれくれない」「何故理解しれもらえないのか?これは人間の壁だと思い至ったのです」(248-249頁)という、貧弱な理解である。

憲法改正の必要性を国民に理解させる為になすべきことは、国民と日本政府の間に信頼感を築くことである。そして、それには昭和の大戦の再評価を徹底的に国内の問題として行うことだと思う。中曽根氏の個人的総括は32頁に書かれているが、貧弱だと思う。最初に、「皇国史観は通用しない」としているが、誰が皇室史観で戦争を始めたのか?(補足1)自分が開戦反対を軍艦上でいうには勇気が必要だと言っているが、海軍では大臣(米内光 政)も次官(山本五十六)も英米との開戦は反対だった筈だ。

自分の政権を回想するという章であるが、外交に関しては米国の要求をほぼ丸呑みであったが、米国の要請は米国の保護国である日本は受け入れるしか方法がないと受け取ったのだろう。ロンとヤスの関係については、内外の政治家の評価のところで書かれている。個人として仲良くやるのは比較的簡単だろうが、国家を背負って仲良くなるは困難な仕事だと思う。単に米国の対外方針に理解を示し“イエス”というだけでは、仲はよくなるが、国家を背負ったことにならないと思う。

繰り返しになるが、何故、吉田茂元総理が、国家としての政治的骨組作りに着手しなかったのか?それらを大事と思わなかったのか?時期尚早と思ったからなのか、議論がないのは非常に残念である。鳩山一郎が憲法改正と日ソ交渉という政策を掲げて昭和29年の選挙にかった。その鳩山一郎の政策は、脱占領政策、吉田政治からの脱却という面を持っていたが、何故鳩山内閣が短命に終わったのかについても書かれていない。(補足2)

田中角栄失脚の原因として米国石油メジャーの絶大な力に言及しているが、どのような経緯で石油メジャーとロッキード疑惑が関係しているのか? とにかく、これがこの本で唯一政治を動かす深部に潜って存在する本当の力に言及したことばである(補足3)。

田中角栄だけではなく、鳩山一郎内閣にも、短命に終わった内閣の影に米国があったのではないのか? それにどう対処するかにアイデアを出さなければ、米国の属国からの脱却はできないのである。つまり、それらすべてに、米国の日本を二度と立ち上がれない国にするという基本方針が反映されていた筈であるが、その重要な点についてほとんど気がついていないか隠している。

中曽根内閣は、何かを行うチャンスであったにも関わらず、自分にできないことはやらないし、できるだけ長期間総理大臣を務めるという世俗的目的を最優先したのではないのか。

内政では国鉄、日本専売高公社、電電公社などの行政改革を成し遂げた話と教育改革できなかった話が主である。最後に、「教育改革を私の政権時代に実現できなかったことは、最大の悔やみと思っています。」と述べている。つまり、上記国家の枠組の問題はさしあたり、それほど大きなものではなかったと言っていることになる。教育改革など、国家の骨組がまともになれば、自然に解決するのだ。

この本は結論として、永田町の住民内の勢力争いに最も多く頁数を割いた、政治屋的回想録である。この本では、米国や中国をはじめ、世界は日本が働きかけるべき対象と言うよりは、永田町内ポリティックスに与えられた土俵のような感覚である。

補足:

1)大東亜戦争の総括として中曽根氏は5項目あげている。 ①昔の皇国史観には賛成しない。②東京裁判史観は正当でない。③⑤あの戦争は、対英米と対中国&アジアで性格がことなる。対英米仏蘭に対しては普通の戦争だが、アジアに対しては侵略戦争だった。④動員された国民大多数は祖国防衛の為に戦ったし、一部は反植民地主義・アジア解放の為に戦った。(32頁)
2)日ソ国交回復(1956)後に、退陣している。体調なのか、何なのかわからない。
3)これには孫崎亨氏の「アメリカに潰された政治家たち」の中で、日中国交回復が真の原因だろうと書かれている。石油政策なら、当時石油政策にかかわっていた中曽根通産大臣(孫崎氏は当時、イラクから石油利権獲得に動いていた通産省の石油開発課にいた。)が無傷である筈がないと書いている。因みに、この本の中で、中曽根康弘氏は代表的な対米追随路線の政治家とされている。

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