2016年5月25日水曜日

小保方事件:「自然科学」の本質からの再考察

自然科学研究とは、そもそもどのような行為なのか(補足1)、そして、小保方氏のケースのどこが問題だったのかについて、再度表現を工夫して書いてみる。テレビ等で、著名なT 教授の執拗とも思える小保方論文弁護が、この文章を書く動機である。

1)自然科学研究は、自然が完全な存在であるとの仮定(補足2)のもとに、人間が理解できるモデル(記号や図面を含めた言語の集合)で再構築することを目指す行為である。その目的を達成するために、研究者は、通常学会を作ってそこに参加する。学会には既に学会員になっている人による紹介などで参加するので、一定の能力が前提となる。そのほか暗黙の資格として、自然科学の上記目的:“自然の仕組みを解明する”を共有し、学会員として活動する間(研究活動中)はその目的を最優先することである(補足3)。

研究の進行について書く: ある研究者が自然のある部分について、実験や計算結果に自分の考察を加えて、自分の考え出した自然の仕組み(モデル)を論文として発表する。それに対して、他の研究者が批判的に考察する。また、多くの場合は類似研究や延長上の研究によって検証され、その評価が定まれば論文により提出されたモデルは、次第に確かな知識として学会に定着する。

最先端分野では、いろんなモデルが提出されて、論文誌上で競争となる。しかし、最終的に残るのは、そのうちの一つである。結果として嘘であったと後で分かるモデルを論文に書いても、その時点で良い論文と評価された場合非難されないし、その評価も変わらない。ライナス・ポーリングのDNA三本鎖モデルの論文(Nature誌に掲載)もその良い例である。

現在までに得られた知識の上に、類似の部分やより詳細な部分について、上記プロセスを繰り返し、その分野全体についてのモデルをより完全なものに近づける。ただし、真実というのは神(存在するとすれば)のみが知るのであり、科学者は既存モデルを真実としては受け入れない(補足4)。また、二人の同じ専門の科学者が持つその専門分野のモデルは、根幹部分はほとんど同じだが、厳密な解釈や詳細な部分では必ずしも同一ではない。学会は、異なる考え方をもつ研究者が自由に意見を交換することで、自然への理解を深めることを目的にした集まりである。唯一共有するのは、上に“暗黙の資格”と書いたことであり、それを換言すれば「自然の前に謙虚である」ということである。

2)小保方論文のケースでは、小保方さん本人か著者の一部が、”暗黙の科学会への参加資格に反する行為”をしたことが問題であり、スタップ細胞があるかないかが問題なのではない。繰り返しになるが、「自然の理解のために研究を行い、それを発表する」ことが、研究論文を科学雑誌に投稿する唯一絶対と言っていい資格である。名声を得るとか業績を上げるとかが裏の目的としてあっても良いが、決して表の論文内容に影響してはならない。

小保方さんらのグループにその前提を犯した人がいたと、著者全員が合意し論文は撤回された。その段階で、その件は白紙であり、再現実験などを行うのは全く無意味な行為である。過去のブログで、笹井氏の遺書に関する感想を書いた時に、その点は詳細に書いているので、参考にしてほしい。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41650960.html

もっと簡単に、「インチキしたから悪いのだ」と言うだけで良いと思う。しかし、その理屈の通用しない人達がマスコミで小保方弁護をしているのである。テレビで有名な中部地方のC大学教授のT氏による小保方論文弁護の根拠は、「論文で主張が論理的に出来ておれば、その真偽と関係なく、非難する理由はない」ということのようだ。

別論文掲載の図をコピー&ペーストすることの研究倫理上の意味は、実験結果に重点がある論文と理論が主である論文で、大きく異なる。理論が主な内容の論文において、実験結果の 図が単に現象の例示的な意味で紹介される場合、その行為は論文を撤回するほどの大きな問題ではないだろう(補足5)。しかし、実験とその結果に重点がある化学や生物系の論文では、その行為は所謂インチキとみなされる。そのインチキ行為を、最終的には著者の全員が認めたのであるから、撤回されたのだ。その際に、暴力的な脅しがあったというのなら、それは刑事事件の問題であり、議論する場所が違う。

米国で類似研究がされたとかいう話も、全く関係がない。仮に、後日あの撤回された論文と同じ内容の論文が別のところから発表されても、全く関係がないのだ。

補足:
1)自然科学の元研究者としての考えです。ただし、哲学の知識はそれほどありません。
2)つまり、自然は 旧約聖書やヨハネによる福音書の冒頭に書かれているように、神により創造された完全な存在である。それ故、論理的に説明できる筈であり、怨霊などの影響を受けない。
3)最優先の意味は、世俗の目的が発表内容などに影響してはならないということである。因みに。自然科学研究は、学会に参加していなくても出来る。しかし、その成果を論文として科学雑誌に発表する段階で、学会に参加したことになる。ただし、学会員以外は投稿できない雑誌が多い。
4)真実を主張することは、その段階で宗教家の行為となる。
5)著者全員が合意の上で、Erratum(誤写などの訂正)として後日修正すべきである。

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