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2016年5月20日金曜日

命に値段をつけられない日本:年間3500万円のガン治療薬の保険適用の議論

1)最近話題になっている高価格の抗がん剤がある。その新薬は小野薬品工業が製造販売する「オプジーボ」で、体重六〇キロの肺がん患者が点滴として使用すれば、年間約三千五百万円かかる。保険治療が各種ガンで可能になりつつあるが、高額療養費制度の適用でそのほとんどは国庫からの拠出になるため、保険財政の破綻は目にみえている。http://xn--kcksp5s2a1d.com/news/151214k01

辛い決断だろうが、保険適用外にするしかないだろう(補足1)。そうすると、金持ちだけが命を買うことができるという、日本人が一番嫌いな現実を突きつけられることになる。しかし、社会通念などを一旦排除して、原点に戻って考えてみれば、命の値段は有限であり、当然個人差がある。現実主義的立場にたてば、予算が限られている以上その決断は受け入れざるを得ないと思う。

目を医療制度から社会全般に転ずれば、日本にも生活ができず就職もないために、あるいは借金を抱えてしまって前途に希望を無くして、自殺する大勢の人間がいる。彼らの命の多くは、同額の3500万円を国庫が拠出すれば、助かるだろう。この場合は、オプシーボで期待される20%程度の有効性よりはるかに効果的である。http://www.nikkei.com/article/DGKKZO98555710X10C16A3TJN000/

しかし、努力をしなかったから無職になったのだとか、借金をつくったのは自己責任だと言って、冷酷にもそのような対策を拒否する意見は多いだろう。しかし、がんになったのも自己責任ではないのか? 

2)責任には、自己責任、(政府など)他の責任、それに連帯して負う連帯責任などに分けられるだろう。連帯で責任を負うべきことには、例えば会社の運営などがある。倒産すれば連帯して責任を負う。政府などの公共機関の責任で行うべきことには、国防など国民共通の利害が関係する業務がある。

がん治療の責任を、連帯責任や他者の責任に帰すことが出来ないのなら、自己責任以外にはないのではないか。つまり、病気も多くは喫煙、暴飲暴食などが原因であったり、両親から引き継いだ遺伝子が原因であったりして、広い意味での自己責任で対策を考えるべきである。

もちろん、健康保険制度に加入して積み立てているということで、どれだけ高額であっても保険金の受け取りは国家(健康保険組合)との契約で得た権利であるとの主張には一理ある。

しかし、憲法25条にある、「国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」や、「国は全ての全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」というのも、国家と国民との契約である。其れゆえ、国家は憲法25条の国民との契約において、(労働の義務を果たす様に指導した上で)貧困を撲滅する義務がある。

ブラック企業を止めたが、その後職がなく、前途を悲観して自殺してしまうというケースも、国家の運営に一定の責任があり、簡単には自己責任で済ます訳にはいかない。そのような理由により、膨大な赤字をだしてまでオプシーボを保険適用にするよりも、失業対策や景気浮揚策、自殺防止のカウンセリングとアフターケアの充実など、その他の福祉向上にお金を使うべきだと考える。

予算は限られているのであり、最大多数の最大幸福を許された予算という束縛条件の元に解くのが政治である。その政治の原点を国民に説明して、経済的な制度とその運営ルールをつくるべきであると思う。

補足: 1)開発者の小野薬品(株)に、開発費の早期回収など諦めて、日本の医療に携わる会社の義務として安価にするよう圧力をかけるべきである。保険適用外になれば売り上げ減少になるので、一定の値下げは期待出来るはずだと思う。

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