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2013年9月8日日曜日

乞食から貴族へ:社会に於ける“価値の物差”の変化

 ここ数日ある漫画家の引退に関するニュースが何度も現れ、それに対する所謂“有名人”のコメントがテレビで報道されている。一人の漫画作家が仕事を止めることに、高いニュース価値があるのだろうかと驚いた。過去何度も止めるといって、止めなかった人であるから、今回も本当のところは解らないのに。手塚治虫氏の死去したときのニュースより大きいことに気づいた時には一寸不愉快な気分になった。(注1)

 そこでその原因を考えてみた。そして直ぐに思い付いたのが、漫才や落語で、そして今回の引退ニュースの主人公も含めて、近い過去に文化功労者が何人も出たこと;それほどでもない女優が国民栄誉賞に輝いたこと、などと同じ現象ではないかということである。つまり、社会における“価値の物差し”が刻々変化しているのである。昔、「物を生産しないし、社会への貢献が無視出来る程度である」として、“河原乞食”と言われた芸人たちが、今や豪邸に住む貴族になったのである。

 それに気づけば、原因の追求は終わったようなものである。つまり、テレビとインターネットの発展である。そして、その道の原点が、量子力学とその原子分子への応用である。(注2) そこを出発点に、半導体の発見およびその理論的理解から、トランジスターやダイオードを駆使した電子回路という工学の分野が飛躍的に発展した。白黒テレビは真空管の発明で可能になったが、その後の発展やインターネットは、この半導体工学なしには不可能であったと思う。そして、その名も無い理学や工学の秀才たちが創った舞台の上で、踊っているのが、低い社会的身分から貴族的身分に登りつめた人たちである。上記ニュースの主人公もその一人である。(注3)

 言うまでもなく、人間は社会を為して生きている。社会は複雑な構造をしており、その全容は天才でも一人では理解できないだろう。それは、人間と同様、骨組みから、頭脳や神経器官、循環器、消化器、内分泌器、解毒排泄器、運動器官、などで喩えられる分野がある。テレビ俳優(タレントというらしい)、スポーツ、漫画といった分野で活躍して居る人も、社会の一部分を支え、且つ、社会の他の部分から支えられているのである。本来、貴族になる理由はないのである。

 最近、家の門扉の廻りの割れたレンガを敷いた部分の修理を、左官屋さんに依頼した。暑い最中に、汗を流しながら、一人で黙々と作業が続けられた。冷たいものを飲んでもらおうと、清涼飲料水を持って行き、その際話を聞いた。「技術を息子さんに教えられたのですか?そして、後を継がれるのですか?」という問いに、その方は、「こんな仕事は勧められない。息子は電気の方に進んだ。それで良いと思う」との返事であった。かなり安い代金で良い仕事をしてもらい、大変感謝している。ただ、「こんな仕事は…」という台詞が非常に気になった。工事代金は、社会が決めた物差しにより決定されるのであり、私が無理を言った訳ではない。  つまり、物差しが歪んでいるのである。(注4)

注釈:

(1) 手塚治虫氏は、大学の医学部を出て、そこから今ではアニメといわれる分野の創始者となった人である。もちろん評価は非常に高いが、当時の“社会の物差”からは、さしたる表彰の対象となる存在ではなかった。

(2) 量子力学は物質の性質を支配する電子の挙動を説明する際に産まれた学問である。その分野の開拓者の何人かはノーベル賞の対象になっている。しかし、その波及効果は、その程度ではなく、将に世界を変えたのである。

(3) 舞台俳優になるには、特別の才能と努力を必要とし、科学者として大成するのと同様に、評価されるべきであると思う。従って、芸能を磨き伝承してきた人たちを乞食呼ばわりするのは、当時の“社会の物差”も歪んでいたからである。 (4) 否、その解析では中途半端である。乞食だって、禅僧とどう区別するのか?全ての人は、「産まれて来て、生きて死ぬ」ことで社会へ参加し貢献しているという見方が正しいと思う。この注釈が結論であるが、上には敢えて結論は書かない。ここは、仏教を論じるところではないのだから。

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