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2014年6月9日月曜日

山本七平著「空気の研究」について

 山本七平著「空気の研究」(注1)を読んだ。体力のない私には非常に読み難い本だった。ここで、その要点と私のオリジナルな解釈を混ぜて、感想文を書く。

 日本人の社会は、(場の)空気の支配を受けやすいというのは、何時も感じていることである。山本七平氏は、日常の様々な場面、及び、歴史的な出来事、例えば、戦艦大和の無謀な出航や、自動車による公害問題などを例にあげ、空気に支配されて出した決断による多くの失敗をリアルに描写している。そして、日本社会の特徴として「我々は常に、論理的判断の基準と空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そして我々が通常口にするのは論理的判断基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。」と書いている(文庫版22頁)。

 山本七平氏は、「空気の支配」における二つの本質をあげている。一つは、A) 空気支配の背後にあるのは、対象への「臨在感的把握」に基づく判断基準であること。(文庫版30頁)つまり、日本人は物や言葉を臨在感的に把握する傾向が強く、それが「空気支配」の起こりやすい背景としてある。臨在感とは、あるものの背後に超自然的な何かを感じる感覚のことである(注2)。キリスト教などの一神教(他にユダヤ教とイスラム教)では、偶像崇拝(つまり、臨在感的把握の対象物)を強く禁止している。それは、神と人との直接契約であるべき信仰に、何か別のもの(神性をもったもの)が入り込む可能性が出てくるからである。その結果、神を除く全てを、臨在感的に把握する可能性が低くなり、「空気による支配も」顕著ではない。

 有力な人またはグループが、ある命題(例えば“原発は全廃すべきである”)を提案すると、その説或いはその説の対象とする物体(原発)が、臨在感を伴って人々に把握される場合がある。その結果、その説が日本全体を支配してしまう。これが「空気の支配」の人工的醸成である。それを許してしまう、もう一つの「空気の支配」の本質は、B)「空気の支配」は「対立概念で対象を把握することを排除すること」である。対立概念で対象を把握すれば、たとえその対象が臨在感的把握によっている場合でも、絶対化されず、対象に支配されることはあり得ない。(文庫版51頁)

 この空気による支配が日本で顕著なのは、日本の言語にたいする文化とアニミズム的な宗教文化に原因がある。「言葉の偶像化による空気支配」が起こるのは、言葉の本質が理解されていないからである。つまり、「人間が口にする言葉には、「絶対」といえる言葉は皆無なのであって、人が口にする命題はすべて、対立概念で把握出来るし、把握しなければならないのである。そうしないと、人は、言葉を支配出来ず、逆に、言葉に支配されて自由を失い、言葉を把握できなくなってしまうからである。」(文庫版74頁)最後に、聖書の創造の物語とヨブ記を材料にして、この命題の相対化の重要性を説いて、この「空気の研究」という文章は終わっている(文庫版88頁)。

     ところで、人工的でない「空気」であるが、それは殆どの場合、「保守的な考え方の支配」に置き換えられるのではないだろうか。長い間につくられた日本の社会にある、慣習や価値観に従うことを、半ば強制されたように感じることを「空気の支配」と言えると思う。(注3)従って、社会の変化が急になると、この空気の支配がその変化への対応の邪魔になる場合が多い。日常での空気支配においては、その原因やあり方において、おそらく儒教の影響が大きいと思う。儒教は、“道徳”という装置を用いて、(師と弟子、父母と子供、先生と生徒、君と臣など)社会に層状構造を持ち込み、その層内では平等&均質性を、層間では絶対的差別を強要する。「空気の研究」にも、「日本の道徳は、差別の道徳である」という記述がある。(文庫版12頁)つまり、その伝統的価値が絶対的なものとして社会に生きている事実をミクロに見れば、「空気の支配」となるのだと思う。

 日本では、山には山の神が、海にも海の神が存在する。また、言葉にも霊的感覚が付随している。例えば、八の字は末広がりで縁起が良いとか、女の厄年が33(散々)歳で、男の厄年が42歳(死に)だとか、数え上げればきりがない。日本の国教たる神道の伝統下では、あらゆるものに臨在感があるので、我々は常に自然を始め自分を取り囲む周囲を恐れ、且つ、それらに感謝して生きている。つまり、超自然的な雰囲気に満たされた空気の中で生きているのである(注4)。その毎日の生活の中に、周囲の雰囲気に支配される習性が出来上がっていると思う。

 それに加えて、山本七平氏が「日本教について」で、指摘しているように日本語で、論理の筋を保って話をしたり、文章を書いたりするのはかなり困難である(注5)。そこで、会話の能率を高める為に、どうしても単語そのものに価値判断が含まれる。それに比較して、英語圏などでは、単語ではなく文章そしてそこの論理で、物事の価値を判断する。この言語環境に置ける差は、非常に大きな文化的差を生む。一例を上げると、「女」と「女性」をNHKニュースでは明確に区別し用いている。“50代の女が、20歳の女性を暴行し、死に至らしめた”という文章では、「女」という単語の中に、マイナスの価値が既に含まれているので、「女性」と入れ替えることが出来ない。しかし、広辞苑(第二版)で“おんな”を引くと、「人間の性別の一つで、子を生み得る器官をそなえている方、女子、女性」とある。つまり、女=女性なのである。広辞苑でも基本的な単語さえ、正確な意味を定義できないのか、それとも天下のNHKが間違った定義で基本的な単語を用いているのか? 

 この日本の言語空間の特異性は、言葉に霊的な何かが容易に臨在することの背景となっていると思う。例えば、原子爆弾を被弾した以降、「原子」という単語に霊が乗り移った様に、日本人は拒否反応を示した。実験用原子炉の導入の際、担当した学者がその空気との闘いに多大なエネルギーを要したことが書かれている。(注6;文庫版21頁)今でも、原子炉という言葉に、放射能という未知の幽霊よりも恐ろしい悪魔が臨在しているように感じている人が、二人の元総理以外にも大勢いる。つまり、原発に反対するという空気が日本中に満ちているのであり、そこには論理も何もない。言葉でも何でも臨在感的把握は、その対象物に神性をみるのだから、その後の命題の論理的展開などあり得ない。つまり、絶対的価値を生じるのである。

 以上、日本において空気の支配が起こりやすい原因として、(1)儒教の影響が日常の価値の中に根付いていること;(2)汎神論的な神道が、国の背景に存在すること;(3)日本語は、原始的な骨格を持つ言語であり、単語に価値が含まれてしまうという特徴がある;の三つの原因があると私は思う。繰り返しになるが、それら:未発達な言語空間(注7)での論理展開の困難さ、それが原因で単語に価値を付着させる習慣、山や海など全てのものに神性を見る神道文化、人々の間に満ちている儒教的慣習、これらの全てはワンセットで、日本文化をかたち作っていると言えると思う。

 山本七平氏の「日本論」における着眼点の鋭さは、恐らく、氏がキリスト教徒の家に生まれ、自分自身も洗礼を受けていること、つまり西欧文化の下に半分生きたということと関係があると思う。そして、神道という汎神教が支配的な国と一神教の国を比較するという視点で、解説したのがこの本であると思う。ただ読後、「山本七平氏は、何故もっと簡単に「空気の研究」を書けないのか」と、読者でありながら不遜な言葉が頭にうかんだ。

注釈:
1)山本七平著「空気の研究」(文芸春秋、文庫版)は、三つの文章からなる。その最初が“「空気」の研究”、次の文章が“「水=通常性」の研究”、最後が“日本的根本主義について”である。この感想文は、最初の二章を読んでの第一章に関するものである。
2)例えば、神社でおみくじを貰った場合、そこに書かれた自分の運気を見た後、くずかごに捨てる人はあまり居ない。それは、何か神聖なものを感じているからである。
3)日本には「小学生はランドセルを背負う」という根強い慣習がある。人生で一番高価なカバンを持ったのは、小学生の頃だったという人が多いのでないだろうか。この慣習に逆らう人は殆どいないが、我が家は一度試みた。1980年代後半の事であるが、こどもが小さいので布製サックを背負わせて通学させたことがあった。しばらくすると、近所で悪評が立った。その悪評がめぐりめぐって、我が家のこどもが苛められることになるかもしれないので、仕方なくランドセルを購入した。
4)「空気」を訳せば、プネウマ(pneuma)となるが、この英語は精霊或いは霊の意味である。それと同時に、pneumatics(空気力学)の単語から判る様に、元々空気という意味もある。従って、空気の支配は外国でもあるし、あったのである。
5)山本七平氏の「日本教について」の感想文も、既にブログに書いている。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/01/blog-post_18.html
6)この担当教授として、千谷利三という名前があった。関係ないが、私の出身講座の初代教授である。
7)日本語のこのような特徴は、別にHPに書いた。
http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html
(2014/6/9)

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