戦後70年の今年、世界は何か不気味な動きを始めそうである。その先駆けがフランスでの新聞社襲撃テロである。
この世界には、爆鳴気が充満して来た様な気がする。爆鳴気の正体は貧困層の経済的不満だろう(注1)。テロや暴動には、宗教的な色、政治的な色、民族的な色など、いろんな色がついていても、本質として同じこの不満が中心にあると思う。イスラム過激派のテロは、宗教と政治の因子が合体し、大規模且つ組織的な点が大きく異なる。
今朝のNHKニュースの映像の中で、パリの街角でインタビューを受けたあるイスラム教徒は、「彼ら(テロリスト)はイスラム教徒ではない」、そして、「同じイスラム教徒であるため、報復攻撃が考えられ恐怖を感じる」と言っていた。また、日本人専門家により、イスラム教と今回のテロは直接関係しないという考えがテレビで流されていた。
神を冒涜するものが居て、信者(テロリストら)が神の名で罰するとしても、神との契約を何らかの神秘体験を通して確認してからのことの筈だと思う。そんな体験が、現代にそうあるものではないと思う。つまり、エネルギー源は、宗教よりも貧困であると思う。言論の自由という旗の下での予言者の侮辱も、それにテロで報復する行為も日本的ではないので、簡単に結論つけることは危険であるが(注2)。
ところで、昨日の激論コロシアムは中国に関する特集だった。シャドーバンキングによる資金が高層マンションなどへの投資にながれたものの、元々需要に基づいて建てられた訳ではないので価格が下落し、多数のゴーストタウン(鬼城というらしい)を形成しているという。残ったのは、多額の隠れた負債である。しかし、そのような投資をする裕福な人々が居る一方で、劣悪な環境にすむ蟻族や鼠族と呼ばれる貧困層に属する人たちが、同時に少し離れた所に存在することは、この国の政治の本質を凄まじいまでの対比で示している。
当然中国の貧困層には、上記爆鳴気が高濃度に醸成されている筈である。戦後70周年記念式典での習主席の演説を皮切りに二年程前の反日の嵐を勃発させ、その捌け口とする計画が中国政府の隠れた予定表に載っているかもしれない。爆発(explosion)させるつもりが、思惑と違って爆縮(implosion)が同時におこり、後者の方が大きいかもしれないという指摘が上記番組でなされていた。
繰り返しになるが、これらテロや暴動は組織化や政治的色合いが違うものの、同じ経済的不満が内部に共通因子(エネルギー源)として隠されていると思う。これらテロや暴動の内部に、上記共通因子の他にどのような力があるか、それらがどのように連絡して現在の状況や現象をかたち作っているか、を知る事がその”混乱の飛び火”を避ける為に必須である。それを見る力、眼力、を養うことは、日本にとっても生命線の筈であるが、残念ながら日本の弱点らしい。その一つの例が、如何にもアンバランスな日本とイスラエル(注3)の防衛協力であると思う。(池上彰、佐藤優、「新・戦争論」第一章31頁)
その眼力は、世界の殆ど全ての政治的現象の分析に共通だろう。それは、人間、社会、経済、宗教、とそれらの歴史に関する知識と、それらを基礎に世界の出来事に関する情報収集と解析・思考を蓄積することで養われると思う。その“眼力”が、英語で言うインテリジェンスである。日本では、内閣情報調査室がインテリジェンスを対象とした機関であるが、イスラエルのモサドや米国CIAとは比較にならないだろう。高度なインテリジェンス機関を持って活用できるのは、内閣官房がそれに匹敵する程度に高度にならなければならないのでなかなか実現しそうにない。(注4)
注釈:
1)「21世紀の資本」の解説本により、得た結論を書く。著者ピケッティの膨大なデータ解析によると、資本の成長が経済成長以上に進む。一般民がありつく富は、資本へ分配された後のものであるため、資本家と一般民との貧富の差は、資本主義の本質として拡大すると結論される。
2)ソニーエンターテインメントの映画に対する北朝鮮のテロ予言の時にブログに書いた様に、ある人たちが大切にする何かを侮辱する事は日本的ではない。また、異教徒にたいする冷淡な記述は聖書全体に存在する。例:申命記第7章に「主が彼ら(異教徒)をあなたに渡して、これを討たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。ーーー彼らに何の哀れみをも示してはならない。」など。
3)日本政府が、イスラエルとアラブとの関係を十分考慮したかどうかが気になる。尚、イスラエル右派の活動資金は米国の富裕なユダヤ人から出されているとのことである(田中宇氏コラム;1/9)。
4)官僚独裁から脱却した内閣は、現在よりずっと優秀な知識人により構成される筈。それとインテリジェンス機関との成功体験の蓄積が、独自外交には必須だと思う。
(以上、理系人間の素人意見です。)
インテリジェンス(狭義)は国家などの本質や本音を知る力だと思う。本音は内部に深く隠されている。それを見る力は、知識と感性とそれらを用いる技術とからなるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿