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2015年1月4日日曜日

群集の暴走について:サンデーモーニングをみた感想

テレビのサンデーモーニング(2015/1/4)において、ギュスターヴ・ル・ボン著の「群集心理」から抜き出した言葉を参考に、群集と近代歴史について考察していた。そこで、同著から拾い上げた群集に関する記述は:群衆は感染する;群集は衝動的である;群衆は過激化する;群衆は暗示に弱い;群衆は時に高い徳性を示す;などである。これらの記述は、現在では常識化された”群集の愚かな行動”(注1)のパターンに過ぎない。それらの認識を基礎に、知的にドイツ国民を煽動したのがヒットラーであると思う。

一人のコメンテーターは、時代が違うのでこの様なことは現代では起こらないというようなことを言っていた。私はそうは思わない。全く現代も過去も群集の特徴に変化は無い。“ヒットラーと彼に煽動された群集が、邪悪をなした”という理解も、悲劇を避ける為の助けにならない。そもそも、世の中に普遍的な善悪の判定装置などない。善(悪)というのは差し当たり、所属する社会に”都合の良い(都合の悪い)もの”につけるラベルのようなものだ。

ただ言えることは、社会全体が経済的に行き詰まれば、人々は制御出来ない群集となり悲劇を産む可能性が大きくなることである。そして、悪のリーダーは単に溜まった不満・ストレスのガスに着火する放火機に過ぎない場合が殆どだと思う。つまり、経済において順調さを保つことが、唯一悲劇を避ける方法だろう。

(群集の暴走という悲劇を避ける為には、)情報の公開とそれを基に人々が思考することが大事であると、隣のもう一人のコメンテーターが言っていたと記憶する。しかし、それも間違いであると思う。貧困下での正しい情報と自由な空気は、むしろ暴動の原因となる(注2)。それは、アラブの春が証明した事だと思う。

全世界を対象とした、真理と平和と幸福の方程式は複雑であり、人間の智慧では解けないだろう。ある人たち(国)の平和と幸福の解が、他の人たち(国)の解と両立しない場合、戦争となる。知的な悪が愚かな善を駆逐してきたのが真実であり、それを記述する時に、大抵の場合善と悪を入れ替えて書いたのが人類の歴史ではないだろうか。群集には、そのエネルギーを供給する役割しか無かったと思う。

注釈: 
1)この語句は、”群集は愚か”を意味する訳ではない。群集は”条件が揃えば”、愚かな行動をとると言う意味である。
2)その暴動が間違いだとか、悪だとか言っている訳ではない。単に、現象について言っているだけである。

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