1)幕末から明治の歴史は、新政府により捏造されたとする本やネット記事が多い。このブログでも最近書いている。
また、古代史の話でよく聞くのは、「日本人にはいろんな顔つきの人たちがおり、明らかに単一民族ではないのに、日本人は単一民族だと幼稚に信じている。」がある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12106818762
ここで、「日本の歴史教科書も他国の歴史書同様、上記の様に多くの部分で捏造あるいは記述が偏っているのではないか?」を少し書く。
日本人単一民族説は、戦前戦後を問わず挙国一致体制を作るために政治家が作ったものだと思う。(https://ja.wikipedia.org/wiki/単一民族国家) 実際には、日本人の起源は単一ではなく、幾つかの民族が土着混血し、紛争はあったものの最終的に統一してできた民族だろう。
例えば、最近読み始めた幕末期の英国の外交官、アーネスト・サトウの本「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)に、簡単な日本の歴史が書かれている。それによると、他国から侵入者がやってきて、小種族と融合し、外見上一民族を形成するに至ったと書かれている(補足1)。この様な記述は、日本の歴史教科書にはない。
侵入者の詳細はかかれていないが、主に倭国だろう。そのほかにも幾つかの侵入者が日本列島に来ただろう。その一つの根拠であるが、伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、さらに特に北陸地方に多い白山(しらやま)神社など、多くの神社が単一の系統では理解し難い状態で存在することである。そして、伊勢神宮が別格の神社となったのは、アマテラスの子孫が日本を統一したことを示しているだろう。http://diamond.jp/articles/-/47553?page=1
出雲大社に年に一度、日本全国の神があつまるという伝説は、出雲大社の神(オオクニヌシ)は倭国にとっては先住民(といっても侵入者)の神であることを示しているのではないだろうか。岡谷公二著の「神社の起源と古代朝鮮」によると北陸や近江の神社は、新羅から来たと書かれている。また、鳥越憲三郎著の「古代朝鮮と倭族」では、倭族の起源を中国雲南省付近としている。さらに、日本の古代の支配者は、百済に近かったのは、白村江の戦いで明らかである。因みに、倭はヤマトとも読み、三重県に今でも地名として倭(やまと)が存在する。https://ja.wikipedia.org/wiki/倭村_(三重県)
2)歴史を事実がつながった物語とするなら、日本民族の起源を知る上で上記の様な考察は重要だが、日本国民の一致団結の上で障害になるため、教科書には書かれて来なかったのではないだろうか。
つまり、縄文人と弥生人という区分けと先住民と倭民族という区分けを同一とするのは単純かもしれないのだ。上に書いた様に、弥生人の中にも幾つかの部族や種族がいただろう。そして、蝦夷や熊襲も縄文人の子孫かもしれないし、弥生人の血も含まれているかもしれない。
上記アーネスト・サトウの本に、この国の東部と南部に住んでいた蛮族と支配民族との間に、戦いが絶えず行われたが、この不断の戦争によって武士階級ができ、従来の文官政治が武家政治に制圧されたと書いてある。坂上田村麻呂が登場したのは9世紀から10世紀であり、この記述の支配民族は既に起源が複数の民族に亘っていると思われる。
日本の歴史には、この戦いについては極めて僅かしか書かれていない。その蝦夷や熊襲の子孫が現在どの程度いるのかについてもほとんど書かれていない。これらのことは、現在支配的な位置にある上記多民族集合体にとって都合が悪いのだろう。その集合体の中に、含まれるのかどうかもわからない人が大勢この国にいるだろう。
現在中国や韓国が問題視している日本との歴史問題について、日本側の視点に立って、中国や韓国による“歴史の歪曲してまで日本を攻撃する姿勢”を非難している。しかし、一抹の不安が常にこころの隅に残る。何故なら、上記の様に“日本製の歴史”の中にも歪曲的なものが多くあるからである。
補足:
1)正当な歴史書でないアーネスト・サトウの本を引用するのは、第一に筆者が素人だからである。更に、日本の外から見た日本の歴史に関する普通の理解を得るには便利だからである。
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