元プロ野球選手の清原氏の覚せい剤使用事件について、執行猶予付き懲役刑の判決がでた。それと関連して、清原氏に関係のある人たちや関係機関の対応について、昨日のテレビ番組(6月3日東海テレビ午後1時「バイキング」)で議論していた。やくみつる氏の「野球界から追放すべき」という意見が紹介されていた。私は、この意見には強く反対するが、その理由は後述するとして、先ず量刑と再犯との問題を考える。
1)覚せい剤使用で一度刑事罰を受けても、その後の再犯率が80%程度もあり、非常に高いと言われている。http://www.news-postseven.com/archives/20140527_257890.html そこで、厳しい処分はむしろ本人の為にもなり、執行猶予付きの判決はむしろ清原氏にとってマイナスであるという意見が多かった。
この量刑については、犯した犯罪との関連で決められたことだと思う。罪の重さに比べて刑が軽すぎるのではないかという議論は傾聴に価する。しかし、テレビのスタジオの中で多かった、再犯予防を考えて重く罰するという考え方はおかしいと思う。処罰に、他の者を覚せい剤から遠ざけるという社会防衛的な意味はあってもよいが、犯罪人本人の出所後の人生に干渉して余分に刑を課すのは間違いだと思う。出所後どうするかは、本人が決めればよいことである。
刑罰に対する考え方に、目的刑論というのがあり、本人の再犯を防止する意味で刑を課すという考えは特別予防論にあたる。一般予防論、つまり、「刑罰は社会一般をその犯罪から遠ざける役割がある」という考えには賛成だが、成人に対する処罰に対して特別予防論を用いるのは、量刑をいくらでも重くできるという点、及び、人間の尊厳に関わるという二つの点で反対である(補足1)。
清原氏の場合、覚せい剤の入手経路についての証言がなかったということである。その件については、解放された後に元の入手先からの接触があり、それを契機に再犯の可能性が高いという見方もある。しかし、再度接触してきた者に、「解放後きっぱりと止める為に、入手先を明かさなかったのだ」と言えるので、清原氏個人の力でそれ以後の付き合いを止めることを可能にする有力な武器だと思う。
入手経路を明かし、芋づる式に多数の者が逮捕されたとしても、その先にはもっと大きな組織が存在する。その場合、刑を終えて出所したときには、その組織は報復を兼ねて再度覚せい剤への道へ引きずり込む可能性が高いのではないだろうか。そのような組織を国内から一掃しないのは、国家の怠慢である。
つまり、この清原氏の件の大きな原因を作ったのは日本国そのものである。従って、国民はその罪を負うことを拒否したいのなら、もっと行政の怠慢を攻撃すべきである。(補足2)
2)名球会から除名するという考えについて:
名球会は一定以上の生涯記録、例えば、打者なら2000本安打、を入会資格とする社団法人であり、「野球振興」と「社会貢献」とを目的とする(ウィキペディア)。ゲスト出演した元阪神の江本氏のいうように、清原氏を除名するかしないかは、その団体が規約に則り決めればよいことである。ただし、(覚せい剤取締法違反などの)犯罪を犯した者をその団体から除名することが直接的に規約になければ、すべきでないと思う。
名球会は一社団法人であるが、その名簿は野球フアンの中に残る鮮烈な記憶を整理するという意味もある。別に野球殿堂博物館というのがあり、「殿堂入り」の人たちの名簿を補完する役割もあると思う。清原氏の現役時代の優れた成績は、清原氏個人のプライドの在処の一つであり、名球会会員はその証のようなものである。それまで剥奪しようとするのは、非常に傲慢な行為である。それは、国家の歴史を捏造する行為に似て醜い。
個人の尊厳は、両親から受け継いだことやこれまでの人生で築いたことと不可分に存在すると思う。それは、自分が社会の中で生きて行く上での根拠になると思う。溺れたときには、浮き袋的な役割もするだろう。それまで奪い取ろうとする者は、人間として非常に醜い。
補足:
1)成人は独立した社会構成員だという考えは、民主主義社会の根幹である。特定の成人を、予防的に拘束するのは、治安維持法と同様に社会の根幹を否定することになる。
2)日本の裏社会https://www.youtube.com/watch?v=kr1rvu5vR40 や北朝鮮関連の人間が覚せい剤を用いて資金を調達していると考えられる。それらについて解決できない日本の政府の責任が大きい。そのことについて、十分議論せず、清原氏を袋叩きして(それを楽しむというのは)非常に醜い行為であることを、この番組の出演者に気づいてほしかった。
3)この件で思い出すことがある。それは、スタップ細胞論文での小保方氏によるデータ改竄が明らかになり大騒ぎになったとき、早稲田大学が火の粉を振り払うように小保方氏の博士の資格を取り消したことである。これも、非常に見苦しい行為であった。早稲田大学や理研の幹部は何という下らない人材で構成されているのかと、そのとき思った。
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