1)最近の国内外の政治において、暴言や失言が大きな影響を与えている。日本ではその失言で失脚やトラブルに巻き込まれる政治家が多い。一方、トランプ氏やフィリピンのドゥテルテ大統領の場合、「暴言」が逆に成功の鍵になった様に見える。
トランプ氏やドゥテルテ氏にも、一国のリーダーになるのだから、他の世界のリーダー同様並外れた知性がある筈である。日本のマスコミが揃ってトランプ氏の大統領当選を番狂わせといい、ドゥテルテ氏を粗野な人間の様に言ったのは、彼らマスコミ関係者に知性がかけていたからである。
日本の場合、世界に稀な社会をもつため、政治家の知性を疑うのは常識かもしれないが、世界を見る場合にはレンズを一般的なものに換える必要があると思う。つまり、この「暴言」の様な言葉の中に真実を見出さなければならないということになる。つまり、現代は過去の歴史の延長になく、新しい時代のコーナーにかかっているということだろう。
日本の内閣が、トランプ氏の次期米国大統領への当選に際して表明した「民主主義や人権、そして国際法に基づいた国家間の関係といった、基本的価値を共有する日米関係を揺るぎないものと考える」ことが、正しいのかどうかということになる。
2)民主主義、人権、男女同権や国際法などは、主に西欧が作り出した国際社会の枠組みを形容する言葉である。そしてそれらの言葉を記した旗を持って、経済のグローバル化とそれと必然として並行する政治のグローバル化を進めたのだと思う。(補足1)その方向の延長上に、未来の世界が見えなくなったのが現在という時点だと思う。
麻薬仲介人をまとめて殺すドゥテルテ大統領を、米国オバマ大統領は人権を盾に攻撃したが、それは「口先だけ介入」の多いオバマ大統領の虚しい行為だった。それに対する強い反感がドゥテルテ氏の暴言となったが、ドゥテルテ大統領の身には跳ね返って来たのは、衣を濡らす冷や水程度に終わりそうだ。また、南シナ海での岩礁を埋め立てて軍事基地を築く中国を、国際法を根拠に非難したが、習近平政権からは強い反発が帰ってきただけである。トランプ次期大統領の発言も、従来の国際的慣習を引っくり返す様な類であったが、グローバル化のフラッグシップである米国においても、非難を跳ね返して当選した。
多極化の時代が来ているのだろう。
その流れの中で、中国は東アジアの盟主となるだろう。それに対抗するために、日米同盟を命綱のように考えるのは、日本にとって非常に危険なことだろう。同盟関係でその代わりとなるのは日露なのかもしれない。しかし、ロシアと手を組むことに重きを置きすぎるのは危険である。それと同時に中国との関係改善を模索すべきであると思う。
とにかく、トランンプ氏が米国の新しい大統領に決まったが、それは外国の出来事である。もっとも大きな問題は、日本が今後どの様な戦略で国際社会の中で生きていくかということを、独自に考え実行できる様になることである。
因みに、国際法は「法」というレベルのものでは無い。以前書いた様に、「法」にはそれを定める機関や組織に「権威と権力」がなければならない。例えば国連は、世界のほとんどの国から構成されるが、統一国家的組織ではない。したがって、各国家を縛るべき国際法を持つ権威と力は、国連のどこを探しても無い。それを北朝鮮の核や拉致問題などで日本国は思い知っている筈だけれども、その感覚は霞が関という「辺境の地」には届いていない様だ。
補足:
1)スペインやポルトガルが世界を植民地化する際に、先ずイエズス会宣教師を送り込んで宗教活動をした。彼らは「愛と救い」という言葉を用いて、新大陸等の住民を感化したのだろう。それと「民主主義、人権、国際法」を並置するのは間違いだろうか?
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