神戸のあるマンションの住民総会で、共用部分での挨拶禁止が決まったそうである。http://news.livedoor.com/article/detail/12259022/ 「子供に、知らない人に挨拶をされたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください」という投書がそのきっかけになったということである。
1)ネットなどで上記取り決めに対して、賛否両論がだされた。また、テレビのワイドショーなどでも、タレントたちが議論したようだ。その中で、遥洋子の意見が面白い。
「挨拶をするときには「いい人」にならなければならないと持論を展開したのち、遥自身は外出先で「さんざんいい人」を演じているので、家に帰ったら一切挨拶を止めたいと思っている」と上記取り決めに賛成したのである。出演者では他にもヒロミが賛成したと、この記事には書かれている。
http://news.livedoor.com/article/detail/12289628/
上記の人たち(マンションの管理組合の議論を含めて)は、投書に書かれた問題を十分咀嚼しないで、議論している。それぞれが勝手に論点を決めて議論し、意見が全く噛み合っていない。つまり、投書の主は子供の安全を考えているのだとすれば、挨拶をすることで子供の安全に悪影響が出ないようにすれば良いのである。マンションの管理組合は、住人同士の親睦を図ることには賛成だとするなら、上記取り決めは「角を矯めて牛を殺す」類のものである。
例えば、投書の主の危惧を取り除くだけなら、子供には「知らない人に挨拶をされたときには、挨拶を返すだけにしてその後の相手をしない」と教えれば良い。また、マンション住民間での取り決めとしては、「子供に挨拶をしても、それ以上声をかけない」と取りきめれば、それで済む。
論点を明確にしないで迷走の末に、管理組合はバカな取り決めをやったのではないかと思う。また、その迷いの流れの延長で議論したタレントたちも、駄弁るのはできるがまともな議論はできないのだと思う。失礼!
2)殺伐とした都会の風景:
遥洋子さんやヒロミの考えは、「大人同士も挨拶もしないと取りきめれば良い」ということである。そのマンションの住人たちも、お互いに声をかけたくないので、上記投書をきっかけにして自分たちの意思に沿った取り決めをしたのかもしれない。上記の諺を用いれば、「牛は既に死んでいる」ということになる。そのマンションの住人も遥洋子さんも同じような世界に住んでいることになる。
もし、それが日本全体の風景だとすれば、この国は間違いなく潰れる方向にあるのだろう。中国やロシアが敵であり、それに備えるという議論がよくなされるが、現在の日本は当に、内憂外患に翻弄されているということになる。
遥洋子さんの考えを一言で言えば、「外で挨拶をするときには、いい人を演出しなければならないが、それは疲れる」ということだろう。どうせそれほどいい人ではないのだから、疲れるような演出を強要する日本文化の欠陥を自分が先頭に立って破壊すれば良いと思う。なぜできないのか?それは、彼女も他の人たちも真実や論理よりも個人的利益を優先するからである。
別の表現をすれば、日本には真実を重んじるという文化がないのである(補足1)。日本人は、「和を優先」しなければならないとか、「おもてなし」をしなければならないとか、心の中に蓄積するゴミを必死に隠して、表を飾るのである。
心の中では、そんな疲れる人間関係などまっぴらだという思いを抱いている。それが、孤独死やゴミ屋敷でゴネる住人を生む、日本の地域コミュニティーの抱える問題の根幹なのだ。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/04/blog-post_6.html
補足:
1)米国も政治に関しては同様である。真実は表にはなく、もっぱら裏に存在する。トランプ氏が新大統領として当選したのは、そのような米国のシステムが嫌な人が増加したからだと思う。
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