1)読売新聞10月9日の論点スペシャルで、元衆議院副議長の渡辺恒三氏が、「失敗しない政治家選びは何か」というテーマについて書いている。そこで現在の政治家のレベルの低さは、政党助成金と小選挙区制が原因だろうと書いている。政党助成金の制度は、金欲しさに五人以上集まって党をつくる様にした。小選挙区制で、議員はサラリーマンのようになり侍がいなくなったという。(補足1)前者は小さい政党に、後者は自民党議員に当てはまるだろう。
また、記事の中で、「今は地域社会で暮らしていく上で、政治家が不可欠な存在ではなくなった。昔は、町や村を歩くと、あの橋を直してくださいとか、体育館をつくってくださいとか言われた。今は全部できたので、政治家にお願いすることが減った」と書いている。
なんと言う政治家論だろうか。政治家のレベルが低いのは、今に始まったことではない。
その一方で、今朝、たまたま中国チャイナセブン(中央政治局常務委員)の王岐山(順位は6位)の経歴を調べた。元共産党幹部の息子であり(太子党)、渡辺恒三氏と血筋と言う点では似ている。しかし、その経歴の凄さと能力の高さを見ると、それと比較した日本の政治家の経歴の浅さとレベルの低さは、渡部恒三氏自身の上記評で語りきれないと感じる。
一流の経済学者の王岐山は、アジア通貨危機の際に香港や広東省全体の経済立て直しを指揮して成功させた。一帯一路構想も歴史も専門とする王岐山の影響があるとされているという。また、李克強(中央政治局常務委員の序列第2位)の秀才ぶりは夙に有名である。
日本の政治家も、安倍総理を始め中国流にいえば太子党が多い。その中に一人でも、習近平や王岐山のような下放という試練の時を経た人がいるだろうか?また、その中で実績を上げた人がいるだろうか?また、閣内に李克強のように独自に経済指数(李克強指数)を考案するようなレベルの知識人がいるだろうか?(補足2)
2)日本の政治家や財務官僚の其々幹部のレベルは、国の財政と家計との違い(補足3)さえわかっていないと、高橋洋一氏(元財務官僚)に悪口を言われる程度である。https://www.youtube.com/watch?v=sqa_zdUjov0
そのような行政トップの陣容で、サラリーマン化した国会議員たちの議論で、消費税を上げるとか上げないとか言っているのが、現在日本の政治の実態である。今朝のテレビでは、新潟4区と北海道11区の女の戦いが話題になっていた。演説の中身も本当に下らない。
一方、中国では明日から5年に一度の党大会である。習近平は権力を自分に集中すべく、これまでの主席とは違った身分に自分を置く可能性がある。一帯一路構想は、自分を毛沢東に並ぶ中国の指導者に位置づけるための神話作りのひとつだという説もある。
しかし、それでは中世への逆戻りではないかと思うが、中国で生き残ることはそれだけ困難なのだろう。中国の幹部は、一族を米国に留学などの形で逃がして、本国は出稼ぎの場所という感じである。国家の幹部が蓄財し、それを本国ではなく海外に持ち出すという状況では国の発展はない。(補足4)
中国と日本は、180度異なった国である。智者であり猛将である中国の政治家と腐敗した中国社会、遥かに劣った日本の政治家と公正さにまさる日本社会。何故、このような対局の国ができたか?それは恐らく、西欧生まれの政治経済の文化が、東アジアに受け入れられたが、定着出来ずに藻掻いている姿なのだろう。
以上、愚痴の書きなぐりのような文章でした。
補足:
1)同じ政党から一人だけ立候補するので、選挙において党内にライバルがいない。野党は非現実的でないことを言っているので、所詮ライバルになり得ない。
2)それでも、経済の中に支配層の欲と名誉があまりにも強く入り込んでおり、また、秀才の李克強や王岐山も所詮人間であり、最終的には大崩壊もあり得るだろう。素人には、中国の過剰設備、不動産バブル、信用の低い金融などの問題の規模はわからないが。
3)要するに、国の子会社的な中央銀行が貨幣の発行権を持っている。米国でも日本でも、結局貨幣という債務の裏にある資産は国債である。
4)中国には公という考え方がほとんど無い。その結果、国民は国家を信用しない。幹部も、できるだけ富と家族を海外へ移そうとする。薄煕来は、腐敗撲滅を政策に上げて習近平とトップを争ったが、習近平に破れた。その薄煕来を支持していた周永康は、周近平の不正蓄財を暴露しながら、逆に同じ罪名で周近平の手に落ちた。
http://www.recordchina.co.jp/b105578-s0-c10.html
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140804/269590/
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