1)社会人と言葉による意思伝達のプロセス
言葉は、何かの記述や分析、意思の伝達と交渉、ルールや契約の表現などに使う。それは、物や現象、気持と感情、約束などの言語空間への投影と言える。この投影作業は言語を用いて頭を使う作業であり、面倒である。そこで様々なパターンで記号化というか簡略化が行われる。
簡単な例として、「知らない人が自分の行き先を塞いでいるので、道を空けて欲しいと依頼する場合」を考える。自分がそこを通る理由をまともな言葉で喋るのは面倒である。何故なら、現在占有されている場を開けて貰うには、自分がそこを通る事情の方が、相手が占有し続ける事情よりも客観的にみてより重要だと説得する必要があるからである。
このような場合、「すみませんが、通して下さい」という言葉で通常通してもらえる。それが可能なのは、簡略な言葉に複雑な意味を込めているからである。つまりここでの、「すみませんが」は、「①あなたがそこに居座る事情と権利は、十分承知していますが、②私の事情の方が重要ですから、③お願いします」という意味である。英語の場合も、殆ど同様の言い方で良かった記憶している。
“Excuse me, but may I get through.”とか、“Excuse me, can I get through.”と言うだろう。https://www.italki.com/question/343381
そのような簡単なやり取りで、依頼が可能な背景には、この件に関して二人の当事者が共通の言語空間に住み、共通した情況認識と生活パターンを持っていることがある。それらの基準やパターンが人類共通なのかどうか、文化圏が違えば変化するのかは、先験的には明白ではない。
上記のような極めて日常的にみられるケースでは、ほとんど世界中同様に短い表現で意思伝達可能だろう。しかし、一般的な場合には、しかも違う文化圏に属する二人の間では、上で考察した①—③のプロセスを、全て簡略化なしに行わなければならないだろう。単一文化圏の中でしか生活した経験がない人は、それを十分承知すべきである。
ここで注目してほしいのは、他人の権利に優先して、自分の権利の主張を暴力以外で可能にするのは、人類のみで可能なことである。(補足1)それが可能なのは、人間が言葉で複雑な論理を用い、同時にそれに相当する想像力を持つからである。ここで言う想像力とは、現象を精密に投影できる言語空間を持つことと不可分である。
また、我々が異なった文化を持つ国の構成員とでも、上記①—③の様なフルオプションで言語を用いれば、契約や条約等の意思伝達が可能なのは、人類の言葉は本質的に共通であるからである。つまり、投影すべき言葉空間が本質的に同じだということである。それが違えば、翻訳など不可能である。(補足2)
2)野生から社会性の獲得:ツイートは暴力で意思伝達するプロセスに類似している
一方、暴力を用いる場合は、このプロセスは極めて簡単になる。相手が弱そうなら、「おい、こら、ボケ、どけ」と吠えれば(ツイートすれば)、道を確保できるだろう。これが野生に近い社会での、つまり複雑な社会を作らない場合の、標準的な意思の伝達プロセスである。もちろん、SNSのツイートは140文字あるので、上記程短くはないが、人間社会の標準的な言語空間への投影プロセスとは異ることを知るべきである。
前セクションで書いたように、言葉をツイートではなく論理的に話すことは、人間社会の構成員として必須の要件である。それは、社会を共有しそれを共同で支えているという自覚を持つことと不可分であり、社会で生きる権利を得る為の義務である。
それが義務教育の9年間で教えるべきことである。それは、公の空間でまともな言語表現で自分の意思や意見を表現できる言語能力を持つことが必要であり、従ってそれは暴力で自分の意思を通すことを控えることの必要条件である。(勿論、十分条件ではない。)
その義務教育で必須のことが、現在十分には敎育されていない。それが、先日ネットで動画配信された高校の生徒による教師への暴行事件である。周りの生徒達のかなりの部分がその暴行の場面をみて笑っていた。このような生徒は義務教育をまともに修了しているとは言えない。そのレベルの能力が発揮できないのなら、高校ではなく別途敎育を受けるべきである。
恐らく彼らもスマホのヘビーユーザーだろう。ツイッターなどのSNSを用いているかもしれない。そこでの短い言葉のやり取りが会話だと勘違いしているのが、この種の生徒を育ててしまう一因ではないだろうか。ツイッター(そしてスマホ)などは義務教育期間は禁止すべきだと思う。
3)国際社会において国家間の関係は野生の状態に近く、国家間の交渉は力つまり武力を背景に意識してなされる。(補足3)トランプ大統領の言葉が“小さいロケットマン”と言う具合に、過激な表現になるのはツイッターを使うからであるが、国家間の交渉は本質的にこのようなものである。言葉を、国家内の社会で用いる様に丁寧に用いるのは、国家のリーダー間で一種の社会を形成するからである。しかし、それは国内での個人が形成する社会と本質的に異る。(補足4)
トランプ大統領の品性が前任者の品性に劣るとは、これだけでは決して言えない。テレビの評論家などが、トランプ大統領と金正恩のやり取りを異常なように言っているが、それを国民は誤解してはいけない。伝統的な外交においては、片手に棍棒をもちながら丁寧な言葉で相手に要求する手法(Big Stick Policy)が標準となっているからであるが、セオドア・ルーズベルトの対中米外交とトランプ大統領の対北朝鮮外交の本質は同じだと思う。
補足:
1) 一般的には、その代償として金銭が絡む場合もあるが、それは相手にかける負担が大きい場合、それを金銭に換算するだけの違いである。
2)日本語のサイトで、その研究紹介をしているのは、
http://indeep.jp/all-mankind-may-speak-the-same-language/
英語のサイトにも同じ趣旨の記事が掲載されている。
http://www.telegraph.co.uk/science/2016/09/12/humans-may-speak-a-universal-language-say-scientists/
このサイトでは、この研究内容の紹介とともに、米国コーネル大学でなされたと書かれている。他に,
http://sciencenetlinks.com/science-news/science-updates/human-language/
などもある。
3)この初歩的な知識を持たないか、外国の利益を代表しているのか、どちかの議員が大勢日本にはいる。憲法9条改正反対を叫ぶ連中である。
4)国家の元首間で、互いにファースト・ネームで呼び合う場合がある。しかし、仮に退任後に本当の友人になるとしても、現職の間はファースト・ネームで呼び合うとしても、それはマヤカシであり、マヤカシでなければならない。私個人としては、そのようなデモンストレーションは止めて貰いたいと思っている。
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