1)三橋貴明氏の主催する月刊三橋事務局からメイル配信を受けている。昨日朝のメイルは「マッカーサーを激怒させた一通の電報」と題されていた。それは、戦後共産主義と対峙するために、米国が西太平洋の抑えに日本を使おうと、経済復興させる路線をとったという話で始まる。
マッカーサーが日本の財閥解体など日本を二度と経済的に立ち上がれないようにしたのだが、その後トルーマン大統領から上記のような方針転換に関する命令電報がもたらされたというのである。
三橋氏が言いたいのは、日本の戦後の奇跡的経済発展は、主に米国の経済政策によってもたらされたのであり、日本人の勤勉さやそれによる頑張りの賜物というのは間違いであるということである。そして、現在の経済停滞からの脱却を目指すには、それにふさわしい経済政策が採用されるべきであるということだろう。
そのメイルは有料講座の案内なのだが、その出だしである上記の内容の話やこれまでの三橋氏の発言をyoutubeなどで既に聞いているので、講座を受ける気はない。
三橋氏の持論は、企業の生産性向上のための投資環境を政治が用意すべきだということだと思う。つまり、三橋貴明氏は、高橋洋一氏、藤井聡氏などと積極財政論を唱えているのである。しかし、上記マイナス成長の説明には、日本文化からの分析が必要だろう。
グローバル化によるデフレ傾向はどの先進国にも共通している。その主要国の中で、日本だけがマイナス成長であることを取り上げて、それを積極財政で解決すべきというのには反対である。日本の国債発行残高の対GDP比はダントツの世界一であり、あのギリシャの1.3倍、米国の2倍以上であるのが主要な理由である。
http://ecodb.net/ranking/imf_ggxwdg_ngdp.html
日本が経済的に病んでいるのは事実である。しかし、その原因を国民に明示する意思があるのなら、緊縮財政派の人間とまともに議論して、それを発信すべきである。仲間内の論文にもならない議論を、素人の国民一般に配布すべきではないと思う。
2)米国の経済発展は、個人が自立した米国文化の賜物だろう。個人の自立は、個人の自由な発想と、行動の源である。新しい芽をあらゆる世界に生む。あらゆる分野で、くだらないボスが幅を利かせて、新しい芽を摘んでいる日本とは大違いである。(補足1)
因みに、学校やその他で問題になっているイジメの頻発も、個人の自立していない日本だからこその現象である。個人の自立のないところに、創造性も生まれないし、ベンチャー企業も生まれないだろう。
個人が自立しない社会では、学校のクラスでもどこでも、異質なものを排斥して均質社会をなす。例えば、日本の一流企業の会社経営者が集まった団体である経団連の幹部が、極めて高い同質性を持った集団を作っていると指摘した記事が日本経済新聞に掲載された。(2018/6/21)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31995500Q8A620C1X12000/
経団連の正副会長19名の構成であるが、そのほとんどが東大や一橋など東京の大学出身であり、地方大からは京大出身者が一人いるだけである。また、19名全員が転職経験などなく、順調に出世階段を登ってきたサラリーマン経営者の人たちだという。更に、還暦過ぎの男性日本人だけで構成されているのである。
このような団体の出す信号が、日本の政治経済の方向に大きな意味があるとしたら、日本の経済に将来性などあるわけがない。このままの日本での積極財政は、日本の富の消滅につながるだろう。
自立しない個人は世襲に走る。そして、日本はあらゆる分野で世襲が支配する社会である。芸術工芸(補足2)、会社等経営、医者、政治家などである。例えば、発足当時の安倍第二次内閣の閣僚名簿を構成する者の50%程は二世議員であった。http://blogos.com/article/96845/
二世議員は選挙区などでの知名度などを考えると、選挙に非常に有利である。現在の総理のほか、次期総理候補と言われる石破茂、岸田文雄、小泉進次郎、野田聖子らは全て世襲議員である。http://www.notnet.jp/data02index.htm 衆愚政治と米国の指示と支持の下にある自民党政治の結果である。
勿論、能力があれば良いのだが、上記次期総理候補の人たちにそれほどの能力は感じられない。石破茂氏はテレビなどに出演した際、かなり論理的に話をする人だと思うのだが、それは創造的な所に発展したことがない。以下のページには石破茂氏への取材記事が掲載されている。しかし、単に二世議員の優秀な方という印象しかない。
https://toyokeizai.net/articles/-/218185
それ以外の人たちはそれ以下の人たちである。一国の総理総裁には、天才的な人しか成ってもらっては困る。日本文化の中で生まれ育った人がリーダーとして国を率いては、国際環境の中でこの国が正常に生き残るのは至難のことだろう。日本文化を変えることが、何よりも必要だと思う。差し当たり可能性があるとすれば、インターネットを利用した教育、それ以外としては、日本国を大統領制の国にすること、などが頭をよぎる。
補足:
1)20世紀初頭の画壇を支配していた黒田清輝が、フランスで活躍した藤田嗣治の才能を無視した話をテレビで視聴した。フランスに舞い戻り、レオナール藤田としてその後フランスで生きた。黒田は、爵位を得て貴族院議員となる。これもイジメの一種であり、新しいものを受け入れない日本の縮図とも言えるだろう。
2)高度な能力を要する世界の発展には、人材評価を他の世界の介入を廃して行うべきである。芸術、学問、政治、スポーツなどの世界でも、職業となった時に堕落と背中合わせとなると思う。印象的な出来事として、大リーグをお払い箱になった松坂選手が日本に帰って来てオールスターゲームに出場したことがある。米国では起こりえない事である。
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