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2019年6月3日月曜日

言葉の5W1Hを考慮した使い方を教育すべき:「死ぬなら一人で死ね!」を巡る議論

1)前回ブログで、数日前川崎市で児童等20名を殺傷し、その後自殺した50代の男性に対し、多くの人が鬱憤を晴らすかのように「死ぬなら一人で死ね!」と言いたいと、テレビやネットで発言した。この発言に対し、多くの教育評論家などが批判しているが、テレビ朝日が一般人に対してアンケート調査した結果では、その発言に48%の人が肯定的であったという。反対は30数パーセントだった。(6月3日朝の羽島モーニングショー)

一方、昨日朝のフジテレビ「THE PRIME」(日曜前7・30)にゲスト出演した橋本徹氏は、「自殺に悩んでいる人をしっかり社会が支えていきますというのは当然のこと」と前置きし、「やむにやまれず自分の命を断つときは、他人を犠牲にしてはならない。ちょっと言いすぎかも分からないけど、死に方というところを教育することが、僕は重要だと思う」(補足1)と述べた。http://news.livedoor.com/article/detail/16554498/

これら全ての意見や調査結果は、観察する角度を調節すれば、全て納得のいくものである。何故なら、それぞれが異なる前提の下で喋っているからである。つまり、これらの議論は噛み合っていない。

2)どのような発言でも、「誰が、誰に、何処で何時、何の目的(何故)で、どのように言うか」という5W1hを先ず明らかにし、その上で評価すべきである。しかし、ここ数日の議論のなかで、発言の5W1Hに明確に言及したものはほとんどなかったと思う。

例えば、あの事件の防止を目的にその様な言葉を事前に犯人に向かって言うのなら、それは一定の意味のある発言だろう。勿論、逆効果かもしれないが、目的と発言の間には明確な関係がある。しかし、あの事件が起こったのちに、今後類似の事件を防止することを考える段階での、「死ぬのなら一人で死ね!」的な発言は、その目的放棄の宣言になる。これが前回、その種の発言をした立川志らく氏を批判した理由である。

もし、今後類似の事件を防止するのが目的の議論なら、もっと前段階、例えば背景にある「引きこもり」が生じる原因やその対策の話に、長時間費すことになるだろう。

つまり、上記「死ぬのなら一人で死ね!」とテレビなどで言う人は、単に被害者側の親族の側にたち、自殺した岩崎という人を足蹴にしているに過ぎない。あとから現場に来て、犯人のいじめ(逆襲)に加わっただけである。それは、類似の状況にあるかもしれない多くの人に対して、幻想の中で痛みを生じさせ、類似の事件の発生を促すことになるだろう。

一方、犯人の岩崎に向かって「死ぬのなら一人で死ねよ」という場面の夢を見たひとが多かったかもしれない。それは全く非難されることではなく、極当たり前のことである。人に話す場面において、言葉は人と人が接触する人格の外面でのやりとりの道具であり、人格内部の思いの表現とは別だからである。

繰り返しになるが、このようなトゲトゲした言葉は、正当な戦いの際に自陣を鼓舞する目的で用いるのは良いが、戦うわけには行かない同胞や戦っては損をする相手に対して、使うのは賢明な行為ではない。

自分の内部の表現である思考や論文における言葉の使い方と、人と人の連絡の時に使う言葉の使い方は自ずと異なる。教育すべきは、5W1Hを考えた多様な言葉の使い方である。思考には思考の、依頼には依頼の、事実の解明には事実解明の、それぞれ言葉の使い方があるのだ。

因みに、政治家の発言で例をあげる。そのような言葉使い方を知らなかったのが、丸山穂高議員だろう。一方、言葉の使い方をよく知っている人として、トランプ米国大統領であげられる。(補足2)政治家としての優秀さには(比較することは失礼だが)、当然のことだが、大差がある。

補足:

1)「自分が死ぬ時、他人を巻き添えにしてはならない」と教育するべきだと、橋下徹氏が発言したのだが、その趣旨は明確でない。深く考えての発言ではないだろう。事件の犯人岩崎が多くの子供を巻き添えにしたのは、社会を敵と定めたからである。自分を社会の一員であると考えている人が病苦か何かで死ぬとき、社会の大事な一員を巻き添えにすることを考える筈がない。
また「死に方というところを教育することが、僕は重要だと思う」という発言だが、これも思いつきで言ったのだろう。政治家だったなら、言葉尻を捉えられて攻撃される類の発言である。”死に方”は人生の難題である。それを中等教育レベルで教えるような国に住みたくはない。

2)文在寅韓国大統領が、トランプ大統領の先月の日本訪問の際に、「ちょっとでも立ち寄ってほしい」と、トランプ大統領に電話会談で依頼した。トランプは、その気がないのだが、その際文大統領の言葉に対して「興味ある提案だ」と言ったのである。

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