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2021年5月11日火曜日

日本での「オリンピック開催是非」の議論に欠けた国際的視点:「コロナは漣程度」発言について

インターネットの「Will 増刊号」(以下の動画)で、山口敬之氏は「コロナ被害は漣程度」という高橋洋一氏の発言を擁護している。1分ほど視聴したところで、その非論理的発言にあきれて、聴く気がなくなった。https://www.youtube.com/watch?v=iOj5SKH5CIA

 

山口氏は「緊急事態宣言に伴う飲食店を中心にした規制は効果があったのか、これは一切検証されていない。真面目に検証すると、一切効果が無かったという結論にならざるを得ない」と発言した。一切検証されていないのに、真面目に誰が検証したのか?その結果、どうして一切効果がなかったと言えるのか。この非論理的発言に、この方の知性の無さが如実にあらわれている。

 

私のコロナ被害の理解は、禁酒要請の是非は兎も角、「真面目な日本人が必死に抑えた結果(所外国に比べて)”さざなみ程度”の被害で済んだ」というもの。その対策の結果を、「日本経済やオリンピックを犠牲にするほどの努力をする必要はない」という、対策の有効性否定の根拠に使うのは間違いである。(補足1)

 

例えば、一端罹患したときのコロナの死亡率は、西欧諸国と変わらず2%程度であり、日本人特に70代以降にはコロナは恐ろしい病気である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12668544940.html

 

「コロナの被害はさだなみ程度」という発言の擁護は、高橋洋一氏自身によっても成されている。

https://www.youtube.com/watch?v=RDhcXK1mKIg

ただ、高橋氏の議論には大きな間違いが数箇所ある。

 

その一つは、日本の感染者数ばかり見ているが、オリンピックは国際的行事であること。日本はそのオリンピックが正常に開催されることを期待して、場所の提供を含めて開催への協力を契約した。(補足2)もし、インドや南米やアフリカ諸国が正常に参加出来ないなら、その開催の意味は大きく損なわれる。それは、日本がオリンピック開催を中止する充分な根拠となり得る。

 

高橋洋一氏は、上記動画であくまで日本でのオリンピック開催決定はIOCの専権事項であると言っているが、それが二つ目の間違いである。私は、契約の詳細については知らないが、もし日本国憲法に契約が違反していないのなら、IOCの決定が国家主権に優先する筈はない。

 

従って、日本にオリンピック開催のデメリットがメリットより遥かに大きいと判断するなら、中止をバッハ会長に通告しても全く問題はない。

 

高橋氏は、中止を通告した場合、日本は数千億円規模の賠償責任が発生するというが、それも嘘だろう。何故なら、IOCは日本で裁判を起こしても、日本にこのパンデミックの責任はなく、更に、上記理由を提示すれば、国益に反した判決を日本の裁判所が出す筈は無いだろう。

 

2)国際的なオリンピック中止の声:

 

現在のパンデミックの情況での東京五輪の開催は、本来世界の多くが祝と希望の気持ちで参加するオリンピックのあり方にふさわしくない。例えば数日前の米国ワシントン・ポストは、IOCバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び、開催にこだわる同会長を批判している。

 

 

 

 

 

その他、米国ニューヨーク・タイムズは、東京五輪が一大感染イベントになる危険性を指摘し、サンフランシスコ・クロニクル紙は、世界で新型コロナの影響が長期化する中、東京五輪は「開催されるべきではない」との記事を掲載した。

 

その他の議論を紹介しているブログ記事を引用させてもらい、筆を置く。

https://ameblo.jp/chuka123/entry-12672580475.html

 

 

補足:

 

1)論理不明瞭な対策だとは言え、その対策の効果を含めた結果としての小さな被害を、その対策の効果の否定に使うべきではない。その論理は、時系列を無視しているからである。その対策の根拠に対する否定は、その結果を用いずあくまで論理展開によりなされるべき。つまり、従順な日本国民は非常事態であるという宣言により外出を自粛した結果、被害を小さく抑えることが出来た可能性が高いと思う。失礼なたとえ話だが、「カカシは動いて雀を追い払わないから、稲をすずめから護るには効果はない」という議論に似ている。この「」の議論は、すずめがカカシを設置する人間の存在を怖れる可能性を無視している。

 

2)協力と言ったのは、あくまで主催はIOCであると高橋氏が主張するからである。共催でも協力でも、その名称はどうでもよく、問題は契約の内容である。

 

 

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