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2022年2月17日木曜日

「思考の枠組」の違いにより生じる対立:ウクライナ問題

前回、米国は世界平和のためにこれ以上NATOの東方拡大をすべきでないと言う趣旨の文章をアップした。そこでその理由を詳細に説明したが、米国在住の方よりコメントをいただいた。それは正論であるが、議論の立場に違いがあるように感じて、返答した。そこから今回議論を始めようと思う。(補足1)

 

コメントの概要は以下の通り:

プーチンの侵略は、ナチスドイツの戦争責任を追及したニュールンベルグ裁判における戦争犯罪にあたる。プーチンはウクライナの意思と主権を全く無視し軍でウクライナを包囲しNATO が永久に拒否しなければウクライナに侵入すると脅かしている。過去の経緯はどうであれ、国連憲章違反。

プーチンのロシアは治安維持法下の日本のような独裁国になっている一方、ウクライナの一般市民は民主主義資本主義を基本原則とする西側につきたいという意思は当然のことです。

 

これに対する返答の要旨は:

思考の枠組みを国連中心の現在の国際政治の枠組みとした場合、chukaのブログさんのおっしゃる通りです。従って、現実の外交においては、日本政府はロシアのやり方を批判します。それは西欧諸国も同様だと思います。今回、この思考の枠組みについて触れなかったのは、拙かったと思います。

 

つまり、現在の国際政治の頂点にある米国民主党政権の論理では仰る通りだが、もう少し原点の方から議論すればロシアにもロシアの言い分があると書いたのが前回記事である。そこで、前提となる「思考の枠組」について予め触れなかったのは、拙かった。

 

今回は、上記返答における「思考の枠組みの違いで生じた噛み合わない議論」について、説明したい。必要なら次回以降に、ウクライナ問題に適用してみたい。

 

1)思考の枠組の例1: 親鸞の言葉

 

”思考の枠組”とは、論理的に話を展開するための諸前提のセットである。思考や議論において何らかの矛盾が発生したとき、これまでの思考の枠組を再設定することで矛盾が解消する場合が多い。尚、思考の枠組の設定指針がわかる様に代表的な人物等で表現したものが、“XXの立場”である。

 

抽象論だけでは分かりにくいかもしれないので、具体例をあげる。思考の枠組を代えることで、とんでも無い意見が崇高な言葉に変化する場合がある。親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」である。現代語では、「善人でさえも極楽に行けるのだから、悪人が救われるのはいうまでもないことだ」となる。

 

この言葉は、善人とは社会の規則を守って生きる人の意味だが、悪人と言われる人たちから“善人”を形容すれば、自分勝手に作った規則で富を独占し、善人面する人たちということになる。これは、親鸞による全ての衆生を仏にするという弥陀の本願の一表現だろう。

 

食糧が全人口の95%しか養う分しか無い状況に追い込まれた社会では、何が起こるだろうか? 言うまでもなく、食糧の奪い合いが起こるだろう。その社会が、武力によって秩序が維持されている状況であれば、富者が食糧を独占し、貧者は飢え死にするだろう。通常、法或いは掟は常に富者により定められているからである。

 

その状況下で「生きると言う点において全ての人が平等である」という前提で、食糧分配の方針を議論できるだろうか? 不可能である。親鸞が生きた時代は当に、そのような状況の社会だったと思う。そのような状況下で、飢えた赤児を抱えた男が、富者の家に押し入り財或いは食糧を強奪した罪で捕らえられたとする。その者は悪者とされ、打首となるのは必定である。社会の秩序とは、そのようにして護られる。

 

刑死する前に、悪事を為した故に「あの世」で地獄行きを宣告されることを心配する罪人に対して、親鸞が「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」と言ったとしたなら、それは誰もがなるほどと思うだろう。つまり、激烈だと思われた親鸞の言葉は、「生きると言う点において全ての人が平等である」という「思考の枠組」で、あらゆる神や宗教に囚われずに、自分の思想を説明しただけなのだろう。(補足2)

 

現在の社会でも、例えばマスコミで報道される分析などは、ほとんどの場合、多数或いは一番金と力のある者が都合よく作った「思考の枠組」の下に作られた話である。それに洗脳された一般民は、その枠組みの存在にすら気がつかない。

 

2)思考の枠組の例2:文化圏での限界

 

真実追求の議論において、「思考枠組の転換」が重要なより一般的な場合を挙げる。弁証法的に問題を解決する場合である。Aの立場とBの立場が議論でぶつかる場合、ABの立場を融合した新しい立場(つまり新しい思考の枠組)で問題を整理することで、矛盾を解消できる場合が多い。そのプロセスを弁証法では、止揚と呼ぶ。(補足3)

 

裁判でこの考えを説明すると、弁護士は犯罪人の立場、検事は検察側の立場から、精一杯証拠を探し出し論理を駆使して議論する。最後に裁判官が、両方を融合する立場、つまり拡大した思考の枠組で、全ての証拠を一組の論理で組み立てて結論を出す。裁判は弁証法を利用している。

 

この「思考の枠組」を意識することは解決に至るプロセスにおいて重要だが、この弁証法的プロセスでは、立場A と立場Bを包含する以上の広い立場を取り得ないことの意識も重要である。それらが共に、偏見の下に存在した場合、そこから外へ思考の枠組を設定できない。

 

つまり、裁判ではその文化圏の外に思考の枠組設定はできない。従って、韓国の裁判には日本文化の下では理解不能なことが多い。例えば、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法などは、韓国の論理の限界を示す。日本のように単一文化単一民族の国でも、日本文化という思考の枠組の存在に気がつかないことがほとんどである。

 

異なる国家間の対立の場合、上記のように問題解決できない場合が歴史上多かっただろう。その場合でも、戦争により決着をつけるというのが、西欧でできた拡大版の思考の枠組である。この(クラウゼヴィッツの戦争論)論理で考えた場合、戦争の後で裁判をするという東京裁判などは茶番以外の何物でも無い。米国中心のやり方は、西欧文化の延長上には無い。

 

日本には、明治の時代に出来上がった天皇制という思考の枠組に囚われている人が、知識人のなかにも非常に多い。右派の方々、百田尚樹から馬渕睦夫さんまで、天皇制に強くこだわっている。現在、民族主義への過剰なこだわりは日本の破滅に至ると私は思う。天皇制は維持する方が良い、もっと軽くエレガントに維持できるなら。

 

3)思考の枠組の例3:米国の場合

 

米国のように複雑な民族構成の国では、立場の違いは明白であり、思考の枠組の拡張による問題解決法に気付いている人が多いだろう。ただ、狡猾な一派がマスコミを支配することで、形だけの立場二つ(つまり民主党と共和党)を作り上げ、「立場の違い」の論争を作り上げ利用してきたと思う。

 

レーガン政権の時、彼らは支配力強化のために、マスコミの公共性を廃止し自由化を実行した。マスコミを支配し国民を洗脳するためである。例えば水野道子氏は、「レーガン政権の通信政策における希少性と萎縮効果」(メディアと文化第3号)で以下のように書いている。

https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/media/public/200703/Newworks2007.htm

 

連邦通信委員会( FCC) は、電波の寡占にともなう表現の画一化を避けるため公正原則という規則を制定した。 公的に重要な争点に妥当な放送時間を割き、対立する見解を公正に報道するという義務を放送事業者に課したものである。

 

周波数帯の希少性が多メディア・多チャンネル化による電波を利用した表現手段 の増加で解消され、さらに公正原則が放送事業者の表現手段に萎縮効果を与えるということを根拠に、1987 年レーガン政権下の FCC は公正原則を廃止した。(短縮のため原文を少し編集)

 

その4年後のソ連崩壊(1991年)で、米国の一極支配の世界が出来上がった結果、彼らの一派はイラク戦争、カラー革命やアラブの春などを背後で操りながら、世界の金融のドル支配、産軍共同体の利益拡大などに邁進したのだろう。(補足4)

 

その一方、米国市民には誤魔化し続けた。それが可能となったのは、当に、このレーガンの改革があったからであり、上記狡猾で世界の富の多くを持つ一派が、メディアを支配し、「自由、人権、民主主義という近代人類の共有する価値」という幻の思考の枠組を作り上げて、一般市民の洗脳に利用したと思う。

 

最初は、既に述べたように、共和党と民主党という二党の議論で、弁証法的に真実を確認するという形で米国を牛耳ってきた。しかし近年、インターネットなどで、新聞やテレビ以外の情報の流れが大きくなり、より知的な保守の人たちにはその支配の構造が理解された為、民主党を主な足がかりにすることになったのだろう。

 

その後、民主党支援団の中から、とんでもない論理が現れる。例えば、 BLMCRT critical race thory; 補足5)である。上記狡猾な人たちの戦略も限界に近づいたのである。そんな中、民主党応援団の一角だったCNNがトランプ支援に回るという可能性が指摘されている。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=FLWnq-XZMn0

 

 

補足:

 

1)本文は文系学問には素人の筆者が、自分の知識の整理のために書いたものです。ここで用いる「思考の枠組」「立場」などの用語は、理系出身の筆者が勝手に用いたもので、社会科学で用いるものとは異なる可能性が大だと思います。その点ご了承ください。

 

2)法然の弟子である親鸞は、浄土真宗の開祖であるが、青年の時に比叡山に修行のために入山する。天台宗の道場である横川中堂で修行するのだが、その苦行に疑問を感じて下山する。比叡山の思考の枠組に囚われている多くの青年修行僧であったなら、浄土真宗は生まれなかっただろう。

 

3)多くの文化系の人には、釈迦に説法だが一応書いておく。1970年代の学生運動盛んなころ、活動家がテーゼ(立場A)、アンチテーゼ(立場B)、アウフヘーベン(止揚; 解決)と鸚鵡のように繰り返し言っていたのを記憶している。活動家が関心を寄せたマルクスの唯物弁証法は、歴史の進展を矛盾の発生(つまり、ABの対立)と解消(矛盾の止揚、アウフヘーベン)の形で理解する思想であると私は理解している。

 

4)イラク戦争では、イラクのフセインが原油取引をユーロで行うことを考えた。それでは米ドルの支配が揺らぐので、サウジアラビアと協力して米ドルでの原油取引決済を維持し、その一方でフセインのイラクを罠にかけて、戦争に巻き込んだ。

 

5)米国に移住した一部の有色人種に属する人たちは、「米国は白人が支配し、白人が富を蓄積してきた。従って、白人たちが積み上げた富の1/4位は、有色人種に無条件で分配されるべきである」と発言する人もいると、誰かがyoutubeで言っていた。そこですこしgoogleで調べると、確かにその類の議論が出てきそうな気がする。引用の記事を読んでもらえればわかる。https://diamond.jp/articles/-/248160このCRTを持ち出す人たちは、平然と米国の法律に反することを言っている。それは思考の枠組みを原始の状態からの議論ができるまで広げてこそ成り立つものである。

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