明治以降の日本人は、外の世界(“海外”)を先進的であるという前提で政治を考えて来たようだ。西欧から新しい良い文化を取り入れて、日本に残る古い悪い江戸文化を放逐するという思想は、明治政府の自国民向けプロパガンダであった。その文明開化の時の世界観が、未だに日本人及び日本人政治家を陰から支配している。(補足1)
明治から昭和の時代まで、日本の伝統文化に拘る人たちを批判する言葉が「時代遅れ」であった。「ハイカラ」は昭和40年代ころまでは、老齢の方からよく聞いた言葉である。今でもハクライの腕時計をして、ハクライの自動車に乗るハイカラ生活が、ステータスシンボルとなっている。(追補1)
この世界感では、西欧が世界の主人公で日本はその配下、アジアやアフリカの諸国は野蛮人の世界である。この世界秩序の国民感覚を、矯正することなく未だに利用しているのが、日本の与党自由民主党である。
坂口安吾の堕落論にある「切腹もせず“くつわを並べて”法廷にひかれる老年の将軍たちの壮大な人間図」という記述は、日本人の西欧諸国(正確には米国)に対する劣等意識が日本の諸大臣や将軍に明確に“刻印”されているように感じさせる。東京裁判の光景は、謀反を誅伐する側とそれを受ける臣下の姿に見える。(追補2)
この景色は、裸になったまま「謀反のための武器など何も持っていませんし、持つつもりも未来永劫ありません」という、吉田茂のマッカーサーに対する態度から現在の対米隷属外交まで、一貫して日本の政治・外交として続いている。
2)日本の戦後政治:
戦後復興の後、20世紀の最後の10年から現在まで、日本は長い停滞の中にある。その陰鬱なる空気の中で、最近の右側の政治評論家(チャネル桜の討論会に参加する人たちなど)は、太平洋戦争の責任は米側にあるというプロパガンダをばら撒いている。
彼らは、東京裁判史観は間違いであると言いたいのだろうが、その主張は当に東京裁判史観の俎上にある。その光景は、キーナン判事の「guilty」 という言葉に対して、石原慎太郎など右系の政治家や政治評論家のほとんどが、「not guilty」と言い返しているだけである。
坂口安吾の言葉で言えば「堕落して、底まで落ちた」筈なのに、未だに落ちた崖に向かって何やら叫んでおり、まるで這いあがれるなら這い上がりたいという風情である。
先日、どこかの TV局の朝の番組で、レギュラーコメンテーターの橋下徹氏が石原慎太郎氏の逝去を悼むコーナーの中で、石原氏とは一時期日本の政治を変えるべく統一会派を作ったが、結局分裂することになったと話している場面があった。
その対立とは、未だに戦前から戦後の境に位置する断崖を眺めて、こんな崖を落ちる筈がなかったという石原慎太郎と、世界は反対側に広がっていると道を探す橋下徹の対立であったようだ。その橋下徹の街頭演説を映す動画を見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=ExWt5iboDko
この二人の意見の違いを日本国民全員が考えるべきである。つまり、どん底に落ちたのなら、そのチャンスを生かすべきである。坂口安吾の堕落論をそのように読むべきである。
自民党の政治家は、優れた知性を持つものほど、石原慎太郎と同じ意見を共有するだろう。しかし、それは明治以来の文明開化の考え方から抜け出られない人たちの姿である。私は以前から、橋下氏の対中姿勢を批判したことがあるが、それ以外一貫して彼を支持してきた。
3)反知性が支配する自民党:
知性に優れていない自民党政治家は、キッシンジャーが「日本人(の政治家)は愚鈍で、まともな議論など出来ない連中なので、私の関心の外にある」と評した通りの連中である。このセリフがキッシンジャーから出た理由は、先日公開された伊藤貫さんの動画に詳細に述べられているのでご覧いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=OCllWXHAuW8
アイゼンハウワーとニクソン、その下のキッシンジャーらにより、日本に核軍備をし真の独立国となって、世界の大国の一員として動いたらどうかと打診されながら、「単なる使用人の私には、そんな大それたことは出来ません」と言わんばかりに固辞した佐藤栄作。 彼以前と以後の政治家は、全て明治維新以降の散切り頭の連中である。
彼ら与党政治家は、伊藤貫さんの言葉を借りれば、馬鹿でなければ真の「売国奴」である。
追補:
1)街中には、フランス語、イタリア語、スペイン語など名前が多い。サンマルシェ、アピタ、ピエスタなど。現役の時、上から降りてくる文書にやたらとロードマップ(長期計画、あるいは戦略)やシナジー(共同、調和、相乗など)などの言葉が多かった。馬鹿かと思いつつ無視した記憶が蘇る。このような名称をつけるのは、欧米のものを無批判に良いと思う”ハクライ信仰”の結果である。何故なら、意味がわからないアルファベット名称の方が、外の先進的世界から来たように見えるからだ。
2)戦争は国家と国家が命運を賭けて戦うことであり、懲罰(裁判)で終わるのは異常である。戦死することはあっても、刑死する理由はない。何故、殺されるとしても、裁判の形式を拒否しなかったのか? 国を率いた者たちの最後にしては、非常に情けない姿である。吉田茂から現在まで続く自民党の対米従属の日本は、かれらが作った。何故、その彼ら刑死した指導者たちを靖国神社に合祀したのか? 自民党幹部らの靖国参拝は、敗戦時の首相以下閣僚に対する尊崇の念を捧げるためであり、対米従属を堅持する誓いの儀式である。
補足:
1)明治維新は、ユダヤ系資本家と英国の支援で動いた薩摩や長州によるクーデターであるとの解釈が正しいだろう。その延長上に現在の日本政府が存在する。長州出身者が圧倒的に日本政界に多いのはそのせいである。このことが過去の本ブログのメインな題材の一つであった。
(2/10/6:00; 編集)
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