以下の話は素人の妄想的な考えかもしれない。現在進行している世界史的混乱の一つのモデルである。そのように理解して、お読みください。(この文章は1月30日に下書き保存したものです。その後編集したので新しく投稿します。30日の下書きは破棄します。)
1)国家のロープモデル:個人を束ねて国家を形成するプロセス
人類が高度な文明を形成し、ローカルな争いを克服し、国家という共同体を作り上げた。このプロセスは、個人をまとめて地縁共同体や法人などの機能共同体を作り、その連合体として国家を形成する多重のプロセスと言える。(補足1)
今回、このプロセスを、個人を短い綿の繊維に喩え、それを紡いで糸にし、更にそれを束ね何重かに撚ってロープを作り上げるプロセスに喩える。ここで、ロープの縦方向は時間を表す。このオリジナルなモデルは、直感的にこの社会の成り立ちを理解するのに役立つと思う。
この短い繊維を何種類かの力(自然な高分子間の親和力や繊維間の摩擦力)で集めてロープにするプロセスは、高々50年程度しかない政治的生命の個人を、個人の尊厳や自由を維持する形で多数束ねて国家を形成するプロセスと相似的だと思うのである。
人間は、長い歴史を通して、個人とその家族を基本的単位とし、集団を作って生き延びてきた。互いの力を足し合わせることで生存上有利になるという群れを作る動物の本能を基にし、群れの構成員の知恵と力を集めて、このような集団形成の文化を作った。その近代までの発展型と言えるのが、現在の主権国家体制である。
この主権国家からなる国際社会を、否定する動きが現在生じている。その危機的状況をどう考えるかというのが本稿の主題である。
2)主権国家形成のミクロなメカニズム
個人の自由を最大限保持するには、政治的に安定な社会が自然の力(人間とその集団に内在する力)を利用することにより作られるべきである。つまり、強力な外部からの力で個人を束ね国家を形成することは、個人の恐怖心を利用すれば可能かもしれないが、それは人間が自然な姿で集合し出来上がった民主的な国家とは全く異なる。つまり、上記集団形成の原点を否定する。
上記国家のロープモデルを拡張して、宗教、王室、皇室、更には民主主義のような思想を心鋼として置くモデルが可能かもしれない。心綱とは、ロープの中心に置く芯であり、それを数本のストランドを巻きつけて高い張力に耐えるロープが作られる。米国では建国の精神がこれにあたり、これらは憲法に書かれることが多い。
これら宗教や思想等は、民族間の戦いの歴史のなかで一定の役割を果たし、その民族の文化と不可分の場合、国家の心綱(モデルではロープの心綱)となり得るだろう。
しかし、外部からの侵略により樹立された王室などの場合、国家を強圧的にまとめる外部の力となり得ても、心綱とはなることは非常に困難である。更に、集団の文化の中から出来上がったとしても、私利私欲や外部の勢力により変質した場合、更に文化の変化によりもはや一般大衆と親和的でなくなった場合も同様である。(補足2)
蛇足かもしれないが以上まとめる:
個人とその家族等から国家という大きな共同体を作り上げることは、系を束ね撚ることでロープに仕上げるプロセスに喩えられる。国家の中に、糸に例えられる家族あるいは大家族がしっかり存在し、それらが集まって規模の小さい何本もの地縁あるいは利益で結びついた共同体を、そしてそれらを更に束ねて国家を形成しなくては、人は個の尊厳と自由を最大限維持したまま、長期の富と安全とを手にできない。
● ここで集団を形成する力について少し考える。
個人は短い綿毛に過ぎないのだが、それが糸になるとき、複数の綿毛の間に力が働いている。①家族の縦の繋がりを維持する力である。次の段階(ヤーンと言われる撚り糸)として、②地域共同体や会社組織などを形成する力が働く必要がある。それらが国家を形成するには、更に別種の力が必要になる。それは主として、③法にその政治組織を記載し、それを支持する国民一般の支持である。
大きな人数の集団である国家を形成するとき、何段階かの力を用いるのは、個人の尊厳と自由を最大限確保するためである。もし、一段階の力、例えば共産主義国家のような中央政府の強制力を用いれば、当然個人も個人が一定数集合した共同体組織も、強い同じ方向の規制をうける。それは、個人や会社等共同体の自由を疎外し、活動の能率を著しく害するだろう。
共産主義の国にも家族を作る力①は当然存在する。むしろ純化され強化されている可能性がある。しかし、②や③の力は形骸化しているだろう。中国を例にあげると、法を準備するのも解釈するのも、共産党幹部であり、一般国民の意向とは無関係である。時として、家族の力①をも破壊する力を有する。
● 法はどうあるべきか?
国家を形成するには、法の支配が大事である。しかし、法の制定だけで、法に従う心がなければ国家の長期安定は保障されない。法に従う意志は、法の目的を理解しなければ生まれない。法の理解には、最終的な国家形成(譬え話では、ロープの形成)の目的、つまり群れを作る原点を意識し承知しなければ生まれない。
現在、世界に存在する安定な主権国家は、その構成を維持するための権威と権力が分散的に働いている筈である。中央だけに強力な政治権力を置いた国では、個人などの自由を束縛している故、それらが力を得れば非常に不安定になるだろう。仮に、国家中枢を入れ替えて、民主主義の国だと新たに宣言したとしても、上記ヤーンやストランドに例えられる部分が、民主国家の形に準備されるには、かなりの時間を要するだろう。(補足3)
以上から、現在の人類は一つの権力と一つの権威で、長期安定的に地球規模の政治的枠組みをつくることは不可能である。それは、地球は均一な空間ではないし、そこで生き続けた人間は夫々の文化と一体化しており、思想も行動様式も大きく異なるからである。
暴力的に束ねることができても、そこでの人間は地獄を味わうだけだろう。
3)現在の世界政治:
最近の世界の政治を見ると、地球環境問題を作り上げ、世界統一政府を樹立する方向を示しているものの、実際には人類を混乱の中に放り込む企みが進んでいるように見える。「地球環境を守る」を宗教化し、それを上記のロープモデルにおける心綱に設定しているのだろう。しかし、十分理解できる程度に科学的根拠が用意されていないので、心綱にはなり得ない。この動きの真の姿は、左翼による世界統一の試みだろう。
この左翼による革命は、ロシアを中心にして試みられた(マルクス・レーニン主義で世界を統一)が、それは悲惨な個人の人生を積み重ねて、結局失敗に終わった。そこで、異なった看板“ステイクホルダーのための資本主義”で世界を束ねようとしているが、それは国家資本主義(中国型共産党独裁)の別表現だろう。そのシステムは、長期に亘って人々に地獄の経験を強要したのち、最後は失敗すると思う。
現在生きている人間に対して地獄を見せず、出来るだけ安定な世界を樹立するには、今暫くは(100年程度)西欧の歴史が生み出した主権国家体制の延長線上以外にはないと思う。つまり、人類が真に目指すべき世界政府は、多くの主権国家を、その形態の多くを保存したままに束ねる、新たな思想と権威が作られなければ成功しないだろう。
つまり、現在の主権国家体制の緩やかな連合としての世界を、全世界的な国家資本主義で再編するには、これら現在の世界を構成する要素を全て破壊しなければ出来ない。彼ら世界帝国を目指す人たちは、二つの方向からこれを進めているように見える。
一つは、現在国際社会を構成する要素としての主権国家を破壊することである。現在、国境の意味を否定する試みがなされている。例えば、難民移民の国境を超えた移動を容易にすること、国際関係を国内関係に優先することなどである。(補足4)
最終的には、上記モデルの分散された力①〜③の全てを解消する必要がある。実際、国家資本主義を目指す人たちは、その運動を展開していると思う。例えば新しい資本主義、ストックホルダー資本主義からステークホルダーの資本主義への変更は、②の力、株式会社の破壊を意味する。
もう一つは、これまでの世界を作り上げた文化の破壊である。それは家族という縦系の解体など上記①の力の解消とも関係する。(補足5)それは、性差別の禁止、性的マイノリティーの差別禁止、子供と親の縦の関係を社会が奪うなどの方法で進めている。文化の破壊としては、彼らが米国で主張している所謂キャンセルカルチャーもその表現の一つだろう。
もし、人類が今後塗炭の苦しみを逃れることができるかは、これらの悪質な企みを排除することができるかに係っていると思う。
(17時に編集)
補足:
1)そのプロセスは農業から工業などの産業の発展により人の生活の利便性向上と活動範囲の増大と並行して進んだ。このあたりの理解は、下部構造が上部構造を規定するという唯物史観の論理を適用すると容易である。
2)日本の天皇は正にこの心綱であった。しかし、明治維新の時に著しく上記モデルのヤーンやストランドを規定する力として利用され、著しく変質した。戦後は、GHQにより江戸以前よりも細くされた。皇室の在り方は、このようなモデルで考えると分かりやすいかもしれない。
3)アラブの春などの米国が介入して作り上げた民主国家は、このモデルによればうまく機能しないのは当たり前である。それを承知の上での米国の演出だろう。
4)新しい資本主義を主唱する団体の幹部となっている竹中平蔵氏が、国内の問題よりも国際的な約束を守ることの方が大事であるとテレビで発言したことがある。抵抗なくこの言葉が出るのは、国境の意味、国家主権の意味を過小に考えている証拠だろう。
5)この問題は大きくて深刻である。又の機会に考える。“米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点”という記事が東洋経済に掲載された。https://toyokeizai.net/articles/-/417586
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