2015年6月21日日曜日

時事放談(6/21)の感想:仙谷由人氏と武村正義氏がゲスト

今朝のゲストは、武村正義氏と仙谷由人氏であった。最初の話題は再び集団的自衛権の国会審議についてであった。それについて、両人は集団的自衛権行使を現在の憲法の下で導入するのは無理であり、安倍政権の国会での説明も全く理解出来ないと言う意見を述べていた:

武村氏の意見:殆どのことは個別自衛権の範囲で可能であり、安倍政権は世界の警察官が続けられなくなった米国の代わりをする為ではないかと疑われる。 仙石氏:憲法解釈論として、集団的自衛権を中東からオーストラリアの様に地理的に広い範囲で行使するというのはどう考えても無理である。立憲主義を蔑ろにしている。アカデミズムの立場では無理(補足1)。

その後、年金情報の漏洩、韓国との関係改善について話合われていたが、今回は省略する。憲法論としては、既にブログに書いた様に自衛隊も個別的自衛権行使も合憲とは言い難い。その合憲か違憲かの域を出ないご両人の議論からは、何も学ぶべきことなどないと思う。以下に私の感想を述べる。

私は現政権の方向を支持したい。それは、機密情報を含め事情を一番知っているのは現政権であり、事情は説明不可能な場合が多いからである。そして、現状では米国との信頼関係を修復強化する以外に、道が無い様に思うからである。中国の露骨な海洋進出を前にして、尖閣諸島の問題やシーレーンの確保の問題などが危機的な情況に至るのを阻止するには、ネジ曲がった憲法解釈があと30度位曲がるのも仕方がないと思うのである。

例えば、幕末の歴史書を読んでいると、歴史は規則、論理、善悪で進むものではないということが良くわかる。幕末の混乱が西軍の勝利という形になり、“明治維新が成功”した決定的と思われる出来事は、王政復古の大号令の後の小御所会議であった。岩倉具視や大久保利通らが、徳川慶喜を擁護する松平春嶽と山内容堂らとの激論の末に、慶喜の失政の罪を決定した。午後5時に始まった会議は深夜12時まで及び、紛糾した議論の中で潮目が動いたのは、門の外を警備していた西郷隆盛の言葉「短刀一本あればケリがつくことでごわせんか」が山内容堂らに耳打ちされた時であった。(半藤一利著、幕末史、297頁)

彼らの議論、特に武村正義氏の議論は無責任である。政府側に説明出来ないが説明すれば理解されるであろうことがあればどうするのだ。例えば、憲法改正を議論するのが筋であるというのは正論である。しかし、現在の状況で憲法改正は国民の中で過半数を得るだろうか。私は否だと思う。また、憲法改正を隣国や米国は受け入れるか?それも否だと思う。例えば、ソ連のモスクワ国際関係大学を卒業した北野幸伯氏は、著書「クレムリンメソッド」(集英社インターナショナル、2014/12)で、以下のように書いている。“日本以外の世界は、「善か悪か」に関係なく、「どうすれば勝てるか」を考えている。日本は、右傾化、軍国主義化、歴史修正主義と解釈されることを、極力避ける努力が必要です。そして、憲法改正、靖国参拝、歴史修正については、現状「善悪論」から離れて考える必要があります。” つまり憲法に触れば、歴史修正主義の疑いを中国韓国だけでなく、米国からも受けるかもしれないというのである。

隣国などが一番歓迎する方向は、日本国が衰退の後自滅することである。 従軍慰安婦問題に話が及んだとき、武村氏は“日本は朝鮮半島を36年間植民地支配したことを忘れてはならない。韓国の立場に立って考えれば判るが、その悔しさを理解すべきだ。”と発言した。私は、韓国の悔しさを理解することよりも、日本がそのようにならない方法を考え理解すべきだと、彼に言いたい。

集団的自衛権行使を可能にしようとしている現政権を批判した仙谷由人氏が、最後に“日本人がこれからどう生きていくかについての危機感が少ない”と発言した。鏡を見て言っているのかと思ったが、鏡はスタジオにはなかった。

補足:
1))更に、仙石氏は次の様に発言した。「現政権の答弁の仕方がいい加減で、同語反復が多い。何故そうなのかという説明がなく、説得力がない。今の様な説明を続けていれば、時間を掛けても逆に反感が高まるだけではないか。北朝鮮と中国の脅威が安全保障環境の変化だとすれば、韓国とどう連携するのかが話し合わなければならない。それをしたくないから、中東の機雷掃海なんて言っている。中東の地域紛争に首を突っ込むことなど出来るのか。」

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