§1)新安保法制に関する議論が盛んである。3名の憲法学者による違憲解釈が出てから、新安保法制を違憲として政府を攻撃する野党の勢いが増している様に見える。野党の政治家であっても日本国の政治家であるならば(学者ではないのだから)、第一に考えるべきは、憲法よりも国民の安全である(補足1)。
集団的自衛権行使を可能にする新安保法制は違憲であり許せないとする、民主党などの姿勢の根拠は、(A)国民の命よりも憲法に反しないのとが大切、或いは、(B)現在及び将来において、日本に対する大きな脅威はなく、集団的自衛権行使を可能にする必要がない、のどちらかだろう。
(B)に類似した意見として、冷戦時代の危険が高かった時でさえ、集団的自衛権行使は自民党政府も違憲判断を持っていたのに、何故今憲法の壁を無視してまで可能にするのかという議論がある。それは、物騒な時代でも我が家には鍵が掛けてなかった。現在、あの時代よりは安全と思われるのに、何故玄関に鍵を付けるというのか、と言う議論と等価である。
つまり、過去の経緯や周辺事態とは独立して、本来の国家としてあるべき姿から考えて、政府案を議論すべきである。先ほどBS5チャンネル"激論”で(6/13/am)、枝野氏と磯崎総理補佐官が、田原氏の司会で議論していた。野党第一党の幹部でありながら、枝野氏の議論は、憲法解釈を重視する上記(A)の姿勢、又は、現在の脅威と冷戦時代の脅威を比較して、上記(B)の立場を主張するものであり、国家のあるべき姿という視点に立っていない。つまり、反対の為の反対にしか見えない。
§2)6/11午後8時からBSフジで放送されたニュース番組で、小池晃氏、岡本行夫氏、西部邁氏のゲスト3名が安保法制について議論していた。その中で西部邁氏が、大半の憲法学者は集団的自衛権だけではなく、自衛隊自体も憲法違反だという意見を持っていると発言していた。更に、前提として憲法9条や非核三原則などを置かずに、安全保障体制を第一歩から議論すべきであると発言していた。将に正論である。しかし、それも学者的意見である。
自民党政府が正面から憲法改正を表に出せない理由は、国会の2/3(国民の過半数)が憲法改正に賛成しそうにないからである。そのような国論が出来上がったのは、米国が日本を本格的な武装した国家にしたくないという考えを持ち、戦後の日本を設計したことが原因であると思う。
これまでの自民党による安全保障体制は、米国の日本を仮想敵国とする戦後の姿勢とそれにより日本国の背骨に埋め込まれた憲法9条という制約の下で、解釈改憲により築かれて来た。その代わりとして持ち込まれたのが、日米安全保障条約である。そろそろ、米国は日本を保護国から普通の同盟国にしようと考えているかもしれない。それが先日の安倍総理に上下両院議員の前での演説をセットした背景にあるのだろう。
また、発展途上国であった中国が、あと数年くらいでGDP世界一の巨大国家となる。そして、共産党独裁に新しい中華思想(補足2)がカップルした世界一の軍事大国の隣に、我国が位置することになるのである。そのような時代背景があっての新安保体制構築を安倍内閣は考えているのだと理解する。
政府を構成する政治家は、国民の安全に対して責任を自覚し、上記のような変更が困難な憲法や複雑な国際環境(米国が日本を仮想敵国と看做していた;補足3)という制約下で、国家のあるべき姿を模索している様に見える。その責任と制約条件とを共有しないで新安保法制を批判するのは簡単である。しかしその態度は、国民の安全よりも自分の議席や地位を重視する卑怯な政治屋的態度である。
§3)6月12日、日本記者クラブにおける会見で、元自民党幹部の四名が新安保法案に反対の意志を表明した。山崎拓、亀井静香、武村正義、藤井裕久、の各氏である。亀井氏は、「必ず戦死者が出る。戦争に負けて以来、ある意味最大の危機」と言った。また武村氏は、「集団的自衛権の行使は、国際紛争解決の為の武力行使だ。必要と考えるなら、憲法改正の道を歩むべきだ」と言ったという。(中日新聞/6/13日朝刊第一面)
何を寝ぼけたことを言っているのか?
個別自衛権行使が国際紛争解決にあたら無いのか?(自衛の戦争は、国際紛争にふくまれないのか?)
憲法改正の道など何処にあるのか?あるなら、絶対多数をを維持していた時代の自民党が何故やらなかったのか?
そもそも、憲法9条第二項は言語学的には明確に自衛隊を違憲と記述しているのだ。(補足4)これまでの自民党による安全保障体制は、米国の日本を仮想敵国とする戦後の姿勢と、それにより日本国の背骨に埋め込まれた憲法9条という制約の下で、解釈改憲により築かれて来たのだ。この経緯を無視出来る立場には、この四氏は無い筈だ。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
補足:
1)憲法学者が、学者としての意見を聞かれたのなら、集団的自衛権行使は違憲であると答えるのは当然である。何故なら、国民の安全なども含め命題に無い前提を全て無視して考察するのが学者の仕事だからだ。
2)アジアインフラ投資銀行(AIIB)と新シルクロード計画などは、中華思想そのものであると思う。
3)北朝鮮が核実験をした時に、米国のライス国務長官が急いで日本に来て、北朝鮮の核兵器から日本を守ると発言した。このことは明確に日本を仮想敵国と看做していたことを示している。つまり、北朝鮮により日本が核攻撃される可能性が高くなっても、日本に絶対核武装させないという米国の姿勢を示している。また、田中角栄総理の時代に日本が米国と対中国関係の改善を競った時、田中元総理の早業の国交回復を「あのジャップめ!」と、当時の国務長官だったキッシンジャー氏が悔しがった。米国の日本を見る目は、それらの事実に明確に現れている。
4)彼らに問いたい。お孫さん達に、戦車に乗り、戦闘機を操縦し、軍艦に配備された自衛官の写真を見せて、自衛隊は軍隊ではないと自信を持って、説得できますか?なお、個別自衛権を憲法9条の例外とする考え方があるが、その批判については後日の本ブログを参照してほしい。(6/22追加)
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