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2015年6月18日木曜日

個別的自衛権行使が合憲であるとする、ある憲法学者のこじつけ

昨日国会は、集団的自衛権行使の問題で党首討論を開いた。集団的自衛権行使が違憲であるとして、改めて攻撃するためには、自衛隊も個別的自衛権も合憲であるとの認識で一致していなければ、噛み合った議論にはならない。自衛隊が違憲であると考える社民党や共産党が、集団的自衛権行使を憲法違反として与党攻撃するのは、予算と時間の無駄使いである。今回、個別的自衛権が合憲であるかどうか考える機会があったので、ここにその考察を書く。

  個別自衛権行使は合憲で集団的自衛権行使は違憲と解釈する論理が、憲法が専門の木村草太・首都大学東京准教授の寄稿として紹介されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150616-00000008-wordleaf-pol その論理は、以下の理由でこじつけであると思う。先ず、木村准教授の考えを上記サイトからの引用で、以下に抜粋する。

  『憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。

つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条(補足1)の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。』

  つまり、一般的な項目と特別な項目が矛盾しておれば、後者を前者の例外とするのが、法律の読み方であるというのである。判り易い例では、刑法第199条:「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」と、刑法第36条:「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」という正当防衛の規定の関係である。人を殺しても、正当防衛にあたる特別の場合、刑法199条は適用されない。

この論理を憲法9条と憲法13条に適用するというのだ。憲法13条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と書かれているので、この条文全てを議論に用いるべきである。ゴリ押しだと言うのは、この条文の前半部分も考慮すれば、「立法その他の国政」の中に、個別自衛権行使に不可欠の外交や戦争をいれることは不可能だと思われるからである。

  つまり、憲法13条前半部分にある「全ての国民は、個人として尊重される」がこの条文のエッセンスであり、それをより具体的に示したのが後半部分であると考えられる。明らかに、軍隊(自衛隊)を用いての防衛活動は、兵士個人の命を無視する活動であり、全ての国民を個人として尊重する場面ではない。(補足2)従って、木村准教授の解釈に示された「国政」の中に外交や戦争は含まれず、憲法9条の例外として用いることは不可能である。

   木村准教授は政治家におもねる発言をしておられる。学者にあるまじき態度であると思う。 
尚私は、安倍政権の集団的自衛権行使を可能にする安保法制に賛成である。魂を抜かれた日本国では、超法規的手段でしかこの国と国民を守ることなど出来ないからである。

第九条:  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第十三条:  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

1 件のコメント:

  1. いろいろな問題はありますが、仰るように
    「安倍政権の集団的自衛権行使を可能にする安保法制に賛成である。魂を抜かれた日本国では、超法規的手段でしかこの国と国民を守ることなど出来ないからである。」
    の一語に尽きると思います。

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