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2015年6月4日木曜日

戦後70年記念談話とトルコ議会でのエルトゥールル号記念式典(雑感)

和歌山県串本沖の海岸で125年前、トルコ軍艦エルトゥールル号が遭難した。その時、地元の人の献身的な救助活動により69名が救助された。昨日のNHKニュースによればその記念式典が行なわれたトルコ議会の会場には、串本にある記念碑の写真を挟んで、トルコと日本の国旗が大きく掲げられた。周知の様に、その後の日本とトルコの友好関係が、30年前のイラン・イラク戦争の最中に、トルコ航空機がイランに取り残された日本人200人余の命を救うことにもつながった。

またテレビは、事故の現場である串本の記念碑の前で、一人のトルコ人が祈りを捧げる場面を写していた。インタビューされたその人は、日本に対する感謝の気持ちを、「トルコ人は忘れない」と言う言葉とともに、125年前の出来事に対して世代を越え、現在形で話していた。

この場面を見て、第二次大戦前後の日本軍の東アジアでの行為に関する、我々現代に生きる日本人の対応について、再び考え込んでしまった。つまり、記念式典などがあれば、少なくとも総理大臣や政府要人は、現在形で過去の日本の行為について、謝罪の言葉があって然るべきなのだろう。

幸せな気持ちで何か想い出す時に、感謝の言葉を口にするのは容易である。何故なら、その言葉は相手に通じ易く、一部は反射するように還ってきて、更に自分を幸せな気分にしてくれるからである。それに比べて、不幸な出来事に対する謝罪や悔恨の言葉を口にするのは困難なことである。その辛さの一部もやはり相手側から反射して、その言葉を口にする人の気持ちを更に暗くする。

その“しんどい”仕事を、やはり日本の代表である総理大臣は、しなければならないのだろう。

もちろん、過去の戦争が日本の正義の戦いだと思うのなら、その必要はない。しかし、あの戦争の始まりは、日本の満州侵略とそこからの中国大陸への侵攻であったことに異論はないだろう。リットン調査団の報告を受けて行なわれた国際連盟の決議を不服として、松岡洋右が国連を脱退した時から、日本国の命運はまるで坂道を転げ落ちるように敗戦へと向かった。殆どの日本国民は、正義の戦いとは思っていない筈である。もちろん、日本国の危険性を最小にすることを目的にした行為だと当事者は主張したが、それは大陸の人たちの不幸が著しく増加させることを無視したものであった。その行為は、日本を含めて東アジア全域の人にとって、危険性を著しく増加させる不幸な結果に終わった。

ところで、その背後について最近考えている。つまり、身勝手な皇国史観を抱き込んだ尊王攘夷思想の延長に過去のアジア侵略があったのではないだろうか。「随分離れていて関係ないのでは?」という人には、「明治元年から満州事変まで、わずか63年であり、敗戦から今年2015年までの戦後70年よりも、かなり時間的に短い」と答えたい。

明治からの3/4世紀は、江戸時代の安定した日本の姿(幕末維新、井上勝生著、岩波)からは考えられない。その過激な日本は、明治の混乱の際に幕末の下級武士や下級公家らの活動などにより、日本に導入されたという意見がある(明治維新という過ち、原田伊織著、毎日ワンズ)。あの戦争は、その人たち”維新の志士”から引き継いだ考えを持つ、昭和の軍人と政治家たち(薩長)の過ちの結果であるというのである。東アジアの国への謝罪の言葉は、同時に日本の近代史を総括すれば、自然に口から出てくるのだろう。

長州出身の安倍さんには、そのことを考えて欲しい。

1 件のコメント:

  1. 記念碑に感謝の祈りを捧げることと、国家としての謝罪声明を行うこととは必ずしも同じでは無いと思う。
    国家の謝罪声明は重く、賠償が伴う。賠償が無い謝罪は口だけと言われる。従って、謝罪は一度で良いのでは無いか。
    従って、記念日毎、折に触れての声明は「反省」とすべきでは無いか。
    謝罪の気持ちは、慰霊碑などへの参拝では無いか。これは毎年でも行われるべきだろう。

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