2015年12月19日土曜日

韓国地裁における産経新聞記者にたいする裁判の異常な進行について

昨日の産経新聞記者にたいする無罪判決は当然だとしても、その裁判の進行は異常であった。冒頭裁判官が、韓国外務省の日韓関係の悪化を懸念して地裁に善処を求める内容の量刑参考資料を提出したことを紹介し、その資料を読み上げたという(読売新聞12/18朝刊)。

判決と外務省の圧力との関係がどうであっても、その要請文を読み上げたのか不思議である。行政による司法への圧力を裁判所が明らかにしたことは、三権分立の観点から韓国の国家制度が未熟だということになる。この件、昨日のBSフジのプライムニュースでも議論されていた。

あるゲストから、”行政が司法に圧力をかけるのであれば、電話一本かければ良いではないか”という発言があった。それに対して、”電話一本では意見には沿いかねるので、もっと明確な形で提出してくれと裁判長が催促したのではないのか”という考えが、別の出演者からだされた。行政から無罪判決を出せというのなら、なぜ行政の一角にある検察に 起訴しないように圧力をかけなかったのか?という意見も出た(補足1)。

検察が告訴したのは、韓国民への迎合であったのか、大統領府の圧力だったのか意見の別れるところである。しかし、今回の裁判へ進行を見ると、少なくとも有罪とする意向が国民一般にあり(補足2)、それを無視できなかったことがわかる。

裁判所が訴えた先は国民一般である。つまり、行政の圧力があったために、このような無罪判決を出したと、裁判長がこの判決に至った経緯を国民に公表し、”裁判所の罪”ではないと訴えたのである(補足3)。そして、この文書の公表無くして無罪判決を出せば非難されるのは裁判所であり、その結果、狂信的な勢力によるなんらかの被害が及ぶことを裁判長は恐れたのである。

この行政からだされた量刑参考資料読み上げという異常な出来事の解釈としては、それ以外には考えられない。

もし、行政に抗議する気持だけなら、毅然と無視すれば良い。なぜなら、そのような圧力に屈することは、司法の権威に拘り、且つ、裁判官としての名誉に拘るからである。しかし、韓国民一般に屈することは、一司法官の恥にはならない。それは、国民一般の意思は政府に優先するからである(補足4)。

以上から、反日は韓国の国是であり、池上さんが言及して一時問題になったように、「反日は韓国建国神話にかわるものである」が正しいことを証明している。 http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150617/frn1506171140001-n1.htm

韓国との関係は、このような韓国民一般の考えを念頭において、考えなければならない。それは日韓の問題であるが、韓国自身の問題でもある。解決には少なくとも20年を要すると思う。なお、読売新聞の社説や編集手帳にこの件の議論があるが、この裁判官による「外務省からだされた量刑参考資料の読み上げ」についての解釈は、ほとんどなされていない。

補足:

1)検察が告発する段階では、大統領府も告発に賛成であったと思う。その後の国際環境の変化などにより、大統領府の考えが変わったのである。
2)有罪でかなりの量刑を望む意見が半数以上かどうかはわからない。しかし、狂信的に重い刑を訴える連中がかなりいるだろう。
3)裁判官自身は無罪判決が当然だと考えていた可能性の方が大きいと思う。なぜなら、司法の役割や三権分立については十分承知している知識人の筈だからである。それ故に尚更、この読み上げの件は異常なのである。
4)国民一般の感覚を裁判においても重視するのは当然である。それ故、裁判員制度が導入されたのである。しかし、法理に反する判決は普通は出せない。
補足追加: 対馬から盗難にあったの返還訴訟において、韓国テジョン地裁は、「日本側が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで、日本に仏像を返還してはならない」という決定した件も、同様に韓国世論に強制されたものだと考える。https://ja.wikipedia.org/wiki/対馬仏像盗難事件 この歴史を巻き戻すような判決が異常だと思わない知識人は、地球上にはいないだろう。しかし、そのような判決が現実に出たことは、今回の件と同様に考えると説明可能である。
もっとも、自衛隊が憲法9条第2項に違反するという判決が出せない日本の裁判所も同じような状況にあるのだろう。司法とは所詮その程度のものなのかもしれない。

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