政治の三権は立法、行政、司法である。それに諸外国との外交によって、日本の政治は動いている。その表の存在は独自の動機に基づいて動いているのなら、純粋に民主主義で政治は動いていることになり話は簡単だが、現実はそうではなさそうだ。裏の政治的力として国内にはマスコミがあり、国外にはどこかからの資金あるいは意思により動く政治的団体が多くある。それぞれをここでは、第4の権力及び第5の権力と呼ぶ。
権力とは、ウィキペディアによれば、“何らかの「権力手段」、「基礎価値」をもつことによって、ある者が他者をその意に反してでも行動させうる、特別な「力」”と定義できるようだ。政治の世界で考えれば、権力手段と基礎価値は、それぞれ、行政機関などの政治的機関と民衆の意思により与えられる権威と考えられる。このように政治権力を考えると、上記第四の権力も第五の権力も、政治権力というより政治的力と呼ぶ方が良いのかもしれない(補足1)。
1)第4の権力:
第4の権力として、マスコミが議論されてきた。
マスコミを権力と呼ぶのは上記「基礎価値」に欠けるので、厳密には間違いだろう。正確には第4の政治的力である。
例えば、国会議員になるにはマスコミで名を売る必要があり、政治家を予定するものに政治的権威をあたえる機関とも言える。更に、より重要かもしれないのは、マスコミが国民に供給する情報にフィルターを掛ける能力がある。そのフィルターは独自のものもあれば、政府やその他の圧力団体からのものもある。何れにしても、国民の政治的判断に影響をあたえ、それが、従来の三権を間接的に動かすことになる。
具体的には、例えば隣国の反日姿勢は、政府が行った教育とマスコミの増幅作用により、出来上がったものだと理解する。また、それに日本のマスコミが与えた影響も大きい。それに対する日本側の反応も、同様のメカニズムで作られたものである。歴史家を動員して過去の出来事を、その時点での価値観、風習及び文化に従って解釈し、それを両国民に提供すればこれほどの対立は起こらなかっただろう。
2)第5の権力:
更に強力なPowerとして第5の権力が存在すると思う。それは国際的に存在する多くのNGO組織であり、外交ルートにはない国家内部に直接働きかける能力を持つ。恐らく、表に現れる部分と陰に隠れた部分があり、これらの幾つかは陰の部分でつながっているかもしれない。
例えばアムネスティーインターナショナルという団体は、人権擁護を表看板にしているが、政治的な人権擁護活動をしているようだ。この件については既にブログに書いたが、要点だけ再録する。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42521533.html
同団体は、2003年に元日本軍慰安婦の人々の行動にたいする連帯を表明している。それを紹介する文章の中にアイリーン・カーン事務総長の言葉として、「従軍慰安婦の人びとは、拷問と性奴隷制の被害者である。そして、この件は民間人に対する広範かつ組織的な人権侵害であり「人道に対する罪」を構成し、時効等の法的な制限要素が当てはまらない」と書かれている。この件、詳細な調査を行った日本の歴史家が、上記の評価は正当でないという本を出している。しかし、そのようなことは完全に無視している(補足2)。この声明に対して私は、永遠に日本を非人道的行為の主体として、“牢獄”の中に閉じ込めようという政治的意思を感じる。
もう一つの例は、サイモン・ヴィーゼンタール・センター(Simon WiesenthalCenter; SWC)による月刊誌マルコポーロの廃刊事件である。この事件は、同誌が1995年2月号に「ナチ「ガス室」はなかった」という記事を掲載したことに始まる。海外にその内容が紹介されたところ、SWCの強い抗議を受けた。この抗議は当然のことではある。しかし、その後SWCは同誌に広告を掲載する企業に圧力をかけて、広告を引き上げさせ、親会社の文藝春秋をして、マルコポーロ2月号の回収、編集長の解任、マルコポーロの廃刊に追い込んだのである。http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc600.html
その後、SWCは廃刊になったマルコポーロの編集部員全員と文藝春秋の社員のために「ユダヤ人理解の為のセミナー」を、文芸春秋社の寄付金を用いて開催したという。このセミナーの2日目に、SWCに対して「言論には言論で対抗するという原則」をあなた方はまもらなかったという抗議をした人がいた。このベテラン編集者に対するSWCのバリッツアー博士の答えは、次のようだったという。
「SWCの圧力を暴力というなら、暴力は必ずしも恥ではない。アメリカでは日常茶飯事のことである。アメリカの独立はボストン茶会事件(1773年)でのボイコットから始まった。アメリカではこの様な圧力は道徳にかなっており、質疑応答と同じくらい正しい行為とみられているのだ。」
このSWCの考え方と上記アムネスティー事務総長の意見とは、よく似ている。つまり、「第二次対戦の敗戦国が行った象徴的な非人権的行為に対する現在の評価が絶対であり、仮にその行為に関する記録に捏造があったという疑いが生じても、その行為に対する再評価は絶対に許さない」という姿勢である。そこでは法の不遡及や報道の自由という近代文明の原則も、適用除外となる(補足3)。
英米、英米に強い影響力を持つ勢力、そして、それらに追随する勢力は、“事実は一つしか無いのであるから、調査究明すべき”という考え方をする人をrevisionist(歴史修正主義者)と言って非難するのである。一時安倍総理も米国でrevisionistではないかと警戒されていたらしい。その後の姿勢の調整や米国議会での演説で、その容疑は晴れたのかもしれない。
以上から、国際NGO団体の幾つかは政治的に中立ではなく、連携してグローバルで強力な第五権力を主張しているように見える。
== 以上は素人が勉強のために書いた覚書です。あやまりなどあれば、ご指摘ください。==
補足:
1) 国際連合などの表の国際政治機関は、国家の行政が働く対象あるいは舞台と考える。
2) このような声明が出ると、「詳細に調査すればわかることなのに、なぜ安易にそのような声明を出すのか」という不満が日本国内から出る。しかし、その意見はこの種の機関の本質がわかっていないナイーブな人のものだと思う。
3) 韓国は、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定し、それ以前の時代に親日であった人の財産を、法の不遡という原則を無視してとりあげた。また、親日人名辞典を配布して親日の韓国人を思想の自由など無関係に批判している。この韓国の近代文明無視のやり方は、アムネスティーやSWCのような国際団体に習ったのだろう。
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