成長の限界(ローマクラブ、1972年&1992年)の予測と、国家戦略について:
(成長の限界を折り返して久しい頭脳によるある幻想?)
1)日本国は経済的封鎖に弱く、且つ、その様な立場に置かれる危険性が高い。例えば、太平洋戦争のきっかけは石油禁輸などの米国の経済封鎖であった。この日本の弱点は、補給路を断たれるとやっていけない都市の弱点と似ている。いくら高い技術と教育、公徳心、伝統文化を誇っても、経済的に封鎖されれば簡単に破滅するだろう。
都市が封鎖されて悲劇的結果を招いた近年の例として以下が有名である。独ソ戦で封鎖されたレニングラードでは、100万人と言われる死者をだした。また、中国の内戦でも共産党軍により封鎖された長春では33万が主に餓死し、50万人だった長春の人口が17万人に減少したと言われる。共産党軍は長春市民を外に出さなかったため、関門(チャーズ)で囲まれた境界付近は地獄絵の様相を呈した(大地の子、第一巻)。
自民党議員がよく口にするセリフに「主食である米の安定的生産は安全保障の一つだ」というのがある。そんなセリフで国家の舵取りよりも農家の票をあてにする政治家が大半では、日本の命取りになる。いくら米作を護っても、エネルギー補給などが止まれば、人口の半分以下しか養えないのが日本という国である。餓死か戦争かという選択にならないように何重にも失敗の補完(フェイルセーフ)を考えるのが、本来の政治の筈である。
現在、日本の生殺与奪の権は米国が握っている。韓国の場合もその点では大して変わらない。両国とも米国の指示に従う以外の生き残りの手段を持たないのである。今回の“従軍慰安婦問題の解決”という儀式も、その現実を示している。
安倍内閣のその決断に対して、限定的な視野で裾野の狭い反対論を翳しても、米国の指示に従う以外の道をフェイルセーフとして示さない限り、政治的パーフォーマンスにすぎない。本ブログ28日掲載の“従軍慰安婦の解決合意に対する反対論”には、そのような限界があるということを正直に白状しなければならない。
2)12月27日の読売新聞の“地球を読む”というコラムで、北岡伸一氏が日本の基本戦略について述べている。米中露に挟まれた日本という基本的な構図は過去50年間変わっていないが、大きな変化は中国の経済的台頭である。そのような背景を踏まえて、今後日本の戦略として以下の5点を挙げている。1)日米関係の強化、2)周辺諸国との友好関係強化、3)周辺との紛争のレベルを下げる。具体的には、従軍慰安婦問題ではアジア女性基金の再開を韓国と共同で行う、中国とは偶発的な衝突を避けるメカニズム強化する、近現代史を新たに学校の必須科目として教える、そして、中国に対して歴史的事実に正面から見据えるように期待するなどである。4)世界の貧困対策に積極的に役割を果たす、5)イスラム国に対しては国際協調の一翼を担うべきである。
公的な立場にある人なら誰に聞いても同じ様なことをいうだろう。何の新鮮味もない。JICAの理事長に公式会見を聞いても、真相には迫れないし、新しい視点なども見つからないないだろう。
例えば、日米関係の強化と一口で言っても、具体性が何も示されていない。関係強化する方向にはふた通りある。対等な関係強化と完全服従である。前者ならその本質はギブアンドテイクの関係であり、従って、米国から安全保障をテイクするなら、それに対して相手に何か不可欠なものをギブする必要がある。それは何なのか?何も思い当たらねば、完全服従が残る。完全服従なら、米国にとってイザとなれば捨てる決断も容易である。つまり、北岡氏の最初にあげた戦略は意味不明である。
3)ローマクラブが1972年と1992年に、成長の限界という本を出版している。幾何級数的に増加する人口を養うだけの資源がないため、世界的不況になり人口が逆に激減するという予測である。もし地球が間氷期から氷河期に入るようなことが重なれば、資源の枯渇ではなく食糧生産の激減という形で、同様の人口減少が起こるだろう。もちろん、人間が自然から離れていく近代文明下で、人口が増加しないようになるかもしれない(補足1)。しかし、それは100年以上後のことであり、2050年の問題ではないと思う。
ローマクラブの示したように、人口が地球が養える数を超えた時、世界は混乱の時代に入るだろう。そのような事態に備える長期戦略も今や必要である。全くの素人であるが、以下に今後50年くらいを想定した世界を想像して、考えてみる。
英米や中国等の戦略に長けた国家は、なんらかの未来ビジョンを持って外交を展開している筈である。人口増加を防ぐ方法として最も単純な方法は、途上国の経済発展を遅らせることである(補足2)。例えば、中国の最貧国援助は、中国人が乗り込むという形を取っていると言われる。その場合、暫くは現地の人間にも富の分配がもたらされ歓迎されるだろうが、現地人だけで統計をとれば成長はそれほど速くないだろう(補足3)。上記成長の限界が問題になるころには、二極化された上層を中国人が占めることで、生き残るのは中国人と協力的な現地人が主となるだろう。それは、人口の多い中国らしい逞しい戦略である。
米国は自国で基本的に全てを賄える国である。従って、世界の警察官の振りをしながら、退く姿勢を取れば良い。田中宇氏のいう隠れ多極主義である。英国は英連邦諸国と仲良くしておれば、安泰かもしれない。結果として、英米豪加などを中心としたグループは、全体としてより強く内向きになり、生きのこる戦略をとるのではないだろうか。これらの国にとって厄介なのはイスラム圏諸国である。もっとも都合よくイスラム圏諸国を消耗させるのは、内紛だろう。その戦略を既にとっていると思う。もしそうなら、北岡氏の上記5番目の戦略は危険である。
このような生き残りをかけた戦いの場合、ナショナリズムや宗教などを利用して、ターゲットに定めた国や民族に対して敵意が醸成される。それは作られた敵意であるが、大衆は本質的だとその企みに染まる。現在キリスト教圏とイスラム教圏の間には敵意が人為的につくられている。しかし、一般大衆には“テロは人類の敵”というフレーズで、その企みと企みの主が隠されている。東アジアの一角では、より稚拙だが“日本の軍国主義”というフレーズが、同様の役割を担っている。日本人なら、その二つのフレーズの同質性に気づくべきだ。
日本はどうするのか、親分である米国に袖にされると大不況になるだろう。現地に投下された資本は新たに法を整備して没収される可能性がある。国際法を翳したところで何の力にもならないことなど、米国の原爆投下だけでも十分分かるはずである。今回の慰安婦問題や中国の対日戦勝70周年記念式典などを挙げるまでもなく、歴史的事実など何の根拠にならないことも十分知ったはずである。日本国も戦略を持たなければ、強大な力と緻密な作戦により、“遺伝子的に厄介な国”として扱われる可能性が大きいだろう。
国家の運命がその様なものなら、そこから逃れる方法など殆どないかもしれない。対等の関係でGive and Takeが成立する相手国を探し、その国との強固な同盟を成立させることが考えられる。それを複数の国家からなる連合体、欧州連合に匹敵するような連合体に育てられることが理想である。例えば、日本、オーストラリア、ベトナム、タイ、フィリピンなどを中心にする拡大東南アジア諸国連合などが出来れば非常に心強い。
そこでは、欧州連合のように強い結びつきがなければならない。移民として新しい血を入れ、それは新しい思考を持ち込む。これまでの日本国の伝統は遺産として過去に遠ざかるかもしれないが、新しいなんらかの共通のタガとなる思想を持った連合国的なものが出来ればと思う。天智天皇が唐に対抗するために多民族が住んでいた倭国をまとめて大和朝廷を作った(補足4)ような、大きな改革がなくてはならないだろう。
尚、産業の発展は地球を広くするので、人口増加に耐えられるという意見もある。しかし、それは時間がすこし伸びるだけである。現在話題になっている、ロボット、ドローン、そして自動運転自動車は、マイナーな効果しかないだろう。
補足:
1)フランスでは出生率は高く、ドイツと対照的に人口が順調に増加している。出生率低下は、近代文明とは無関係かもしれない。
2)地球温暖化説は途上国の経済発展を遅らせ、資源枯渇の時期を延ばすのが目的であるという説がある。
3)外国への移民となっても、中国人はそのアイデンティティーを失わない。つまり、中国人に精神的国境はない。
4)岡田英弘著、「日本史の誕生」筑摩書房2008
0 件のコメント:
コメントを投稿