古い題目だが、昨日のBSフジプライムニュースでゲストの曽野綾子さんが語っておられたので、書く気になった。フィリアは普通に好きであるということで、その言葉はphilosophy(知、つまりソフィー、を愛する)など、多くの英単語に生きている。アガペーは人間としての理性の愛であり、イエス・キリストの「あなたの敵を愛しなさい」の言葉で語られる愛である。
1)この「愛」の考え方については、古い思い出がある。
大学の教養課程の時、英語の教材がエリック・フロムの「Is love an art?」であった。テスト対策に邦訳を買ったが、その題名は「愛するということ」だった。授業を受けた後だったので、すぐに題名の訳が不十分(不適切)であることがわかった。Artという言葉が訳せていないのである。
英語の授業では最初に、このArtはNatureに対する言葉であることを教わった。日本語では通常Artを芸術と訳すが、それを用いて「愛は芸術か?」ではフロムの本の題名としては誤訳になる。つまり、Artとは「人ゆえに持つ美しさの表現」の様な解説をされたと思う。そのArtを含む英単語にartificialがある。その和訳は「人造の」や「造りものの」となるが、あくまでもnaturalに対することばであり、安物といった日本語的感覚は元々なかった筈である。
つまり西欧には、「世界は、自然と人間という二つの空間に大きく分けられる」という基本的考え方があるのだろう。日本には、そして多分東アジアには、人間は自然の一部という考え方がある。オリジナルな神道(例えば御嶽信仰や白山信仰など)などはそれを明確に示している。
これが、大学教養部の講義の中で現在まで残ったものである。専門につながる数学や自然科学以外では、この英語の授業以外はほとんど何も残っていない。
2)人間の空間を自然と明確に区別するのは、一神教と深く関係があると考える。エホバ神が創造した点においては、自然も人間も順番が違うが同格であるため、自然の下に人間を置くのはおかしい。従って、人間も固有の空間を持つことになる。私は、西欧人が現代の高度な文明を創造できた理由、つまり自然を人間が対象として解析し、それを用いて高度な文明を築くことができた理由が、そこにあると思う。アニミズムの世界に生きていては、現代のような文明など100万年かかってもできない筈である。
「愛」に話を戻す。人間と人間の間の感情には当然好意と敵意があるだろう。英語で該当するのが、PhiliaとPhobiaであり、前者は語尾としてしか残っていないが「親しい」という意味で、後者は「恐怖心、敵意」を表し、単語としても語尾としても用いられている。これらは、化学分野のhydrophilic (親水的)とhydrophobic(疎水的)という言葉でもわかる様に自然界にも存在する。他に自然の中の異性愛として、エロスがあるが、それらは人間界特有の愛ではない。
そこで、人間界特有の愛としてアガぺーが持ち込まれたのだろう。創世記にあるように、神の形に作られたのが人間であるから、アガペーは人間界特有の愛であると同時に神と人間との愛でもあると思う。また、人間界は文明的空間であるから、アガペーは文明的な愛だと思う。
上記番組で曽野綾子さんは「理性の愛」と表現されていた。つまり、理性に照らして、義務として愛することである。それが、人間として社会をつくり、その中で充実した人生を作り上げる基本的栄養素なのだろう。
補足:曽野綾子さんの言葉で印象的だったのは、「私は人を信じません。」「嫌な人でも、愛する人がするようにすれば良い。」などであった。私は曽野さんの言葉を以下のように解釈した。つまり、人間は神と違って不完全な存在であるから、本心を表に出してはいけない場合があるし、相手の方の本心を過剰に気にすること慎むべきである。曽野さんは、西欧(キリスト教圏)の方々同様神を信じることにより、人にたいしては自由な接し方(つまり本心に拘らない)ができるのだろう。
日本人が子供っぽいのは、怖れる神(自然神)を持っても、信じることができる神(人格神)を持たないことが原因だろう。
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