昨日12月13日の読売新聞の編集手帳に興味ある記事が掲載された。記事の一部を原文のまま引用すると:脚気を防ぐビタミンB1は農芸化学者の鈴木梅太郎が抽出に成功した。学会で発表したのが1910年12月13日だったから、今日は「ビタミンの日」だそうだ。
ビタミンの発見は化学会にとっても医学会にとっても重大事なので、英語版のウィキペディアで調べてみた。https://en.wikipedia.org/wiki/Thiamine
そこには、鈴木梅太郎の名前は全く出ていなかった。
そこで、英語と日本語のウィキペディアを中心にして調べて、互いの相違点などから真相に迫ってみた。幾つかの文章を読むと、世界中の研究者が激しく競争をしており、話は非常に複雑であることがわかった。日本では鈴木梅太郎の他に、何人も同じ狙いを持って研究していた人がいるが、ライバルとして都築甚之助が挙げられる。外国では、オランダのEijkman, ポーランドのFunkなどである。
先ず、「ビタミンB1を発見する」という言葉の意味をどう定義するかが問題になってくる。鈴木梅太郎が発見して1910年12月13日に学会発表した物質は、ビタミンB1を含む混合物であった。同時期か少し早く都築甚之助も、米糠からの抽出物を得てアンチベリベリンと名付けて市販している。その時代、鈴木梅太郎のオリザリンよりも良く売れたという。
西欧での研究であるが、E.B.Vedderが同時期(1910-1913)に米糠抽出物による脚気治療法を確立しているという。https://en.wikipedia.org/wiki/Beriberi#History
また、ポーランドの生化学者Casimir Funkは、1911年に米糠から脚気を防ぐ物質を取り出し、それは化学的にはアミン(amine)の一種であり、更にその物質は生命維持の上で不可欠である(vital)という意味で、vitamine (vital amine)と名付けた。
上記thiamine(ビタミンB1)に関する英語版Wikipediaでは、ビタミンB1研究に貢献のあった人で最初に出てくるのが、日本の軍医であった高木兼寛である。高木は、1884年に脚気の細菌原因説を否定して、白米食と脚気の関係に気づいた。そして、食事を改善することで脚気が防げることを示した。
ノーベル財団が脚気を防ぐビタミンの発見者としたのがオランダのEijkmanであった。Eijkmanは1897年、精米と脚気の関係を確認した。しかしその原因は、白米の胚乳に神経毒が含まれるからだと考えた。その後1901年に米糠成分との関係を確認したのは弟子のGerrit Grijnsであった。
純粋なビタミンB1(Thiamine)を1926年に結晶の形で得たのは、オランダのB.C.P. JanzenとW.F. Donathである。更に、米国のWilliamsがその化学構造を決定して、1934年明確に下図のような化学構造の物質がビタミンB1であることを示した。
どの時点で誰がビタミンB1を発見したと言えるのか? 上の歴史を見れば、その複雑さが分かるだろう。
以上、ビタミンB1関係の文献から得た情報を列挙した。ノーベル賞受賞者がノーベル財団の主観で決められ、業績面で本当に優れた人を選んだかどうかはわからない。また、ふさわしい人は受賞者の何倍もいることがわかってもらえると思う。例えば、上記vitamine (その名前からvitamin、つまりビタミンという総称が生まれた)と命名したFunkは4度 (1914年、1925年, 1926年, 1946年)ノーベル賞に推薦されたが、受賞を逃している。
http://www.nobelprize.org/nomination/archive/show_people.php?id=3272
このような複雑な歴史があるにもかかわらず、日本では鈴木梅太郎と米糠から取り出したオリザリンが特別視されている。日本では、東京帝国大学教授で理化学研究所の創設者という地位が、事実まで歪めてしまうようである。
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