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2015年12月6日日曜日

天皇家の出身は朝鮮半島なのかどうか?

1)小沢一郎氏が韓国の大学で、「日本国天皇の出身は朝鮮半島である」という内容の話をしたという。確かにネットで検索すると小沢氏の講演が出てくる。https://www.youtube.com/watch?v=xyz7pZ7_HP8 それを見た人が竹田恒泰氏に質問をした。それに答えた竹田氏の反論が以下のサイトにある。https://www.youtube.com/watch?v=XVcnFykUCCc

しかし、小沢氏の話の中で、明確な天皇家と朝鮮半島のつながりについての発言は、桓武天皇の生母が百済の王女であったということである。https://ja.wikipedia.org/wiki/桓武天皇 これは今上天皇ご自身の発言にあったというから、それを含めて国民は知っておくべき事実だろう。

上記サイトで見られる小沢さんの講演は、ほんの一部でありどういう趣旨での発言かわからない。江上波夫氏の日本人騎馬民族説を紹介して、天皇家と大陸の関係を匂わせているが、竹田氏の反論にあるように、天皇家が騎馬民族であったということは言っていない。

竹田さんは、天皇家が朝鮮半島出身であるという説と、日本人の騎馬民族起源説を同一視して反論しているが、桓武天皇の生母の話は無視している。この方の天皇家の起源についての話は、従って注目に値しない。

2)江上波夫氏の日本人騎馬民族起源説は独創的であったが、竹田さんの発言の通り、現在では否定されている。一方、岡田英弘氏の「日本史の誕生」(筑摩書房、2008)によると、百済には大勢の倭人が暮らしていたという。また、同書には、“隋書によると日本列島の西部に秦王国という名の国があり、そこでは中国語が通じた”という記述がある。

大和朝廷は百済と同盟関係にあり、白村江の戦いで唐と(唐に支配にされた)新羅の軍と戦ったことでも解るように、当時は現在のような国境はなく、中国、韓半島、日本列島の間の人的交流は、今日想像する以上にあったのだろう(1)。

“倭国と日本国の間”に何があったか一般には明確にされていない。それに関して前掲書では、唐の脅威に備えて天智天皇が諸王国を統一し日本国を作ったと記している。解りやすいモデルだと思う。つまり、倭国と日本国の間には、現在の日本人の祖先の重要な部分を倭人としても、それ以外の諸民族も日本国建国に参加したということが隠されているのだろう。

1500年以上前には、朝廷や我々の祖先が韓半島に居たとしても何の不思議もない。そしてまた、当時の韓半島の住人と現在の韓国人を同一視するような議論は、意味がないだろう。

補足:
1)交通手段としての船の性能規模は現在よりはるかに劣るだろう。しかし、海を渡るのは、魏や隋に倭人が朝貢に行ったのだから、それほど困難ではなかっただろう。更に、個人の生存は現在より遥かに困難だったのだから、生き残るために海を渡る人が大勢いても不思議はない。

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