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2014年11月5日水曜日

尊厳死を考える=日本などでは法制化すべきでない

以下の文章で尊厳死と安楽死の定義が通常のものと逆転しているようです。(11/9追記) 米国の女性が余命6ヶ月という医師の診断を受けて、尊厳死を認めているオレゴン州に移住し、医師の処方により自殺した。昨日尊厳死を認める制度について、ローマ法王庁は非難の声明を出した。キリスト教によれば、神の披創造物である人は、それぞれ目的を持ってこの世に産まれる。途中で自殺することはその目的の放棄になるから罪であると考えられる。

末期ガンで余命僅かと宣告されたとき、その苦しみは他者には想像すらできないだろう。その残された日と命について、他者には何も言う権利はないと思う。ただ、社会が制度として、その人の自殺に尊厳死と称して協力する事には反対である。何故なら、その自殺幇助のプロセスにおいて、想定していない犯罪やその自殺者への強制が入る危険性が大きいからである。

個人主義が根付いており、且つ、神が自殺を禁じている国では、自立した個人が自分の決断として尊厳死を選択出来るかもしれない(1)。実際に尊厳死が認められているのは、スイス、ベネルックス3国、米国のワシントン州や隣のオレゴン州など、ほとんどキリスト教圏である。キリスト教などヤハヴェ神を信仰する社会では、人は神と一対一の強い関係を持ち、人と人の関係は同じ神の下に位置する関係として築かれ、個人主義が成立する。しかし、人と人の関係が直接的なその他の国では、個人主義は根付いておらず(2)、個人的なケースでもその決断に他の人が関与する可能性が高くなる。

例えば、老齢になった患者では、家族の負担、そして地域社会や国家などの行政の負担が大きくなる。そのような環境下では、その患者に尊厳死を選択するような心理的強制が働く可能性が大きくなる。家族の負担に関しては、介護疲れが配偶者への暴行や殺人の原因になる場合が時々報道されていることでも、容易に想像できる。後者の行政の負担は、限られた医療資源の効率的配分という点で、老齢で不治の病の患者はそれを受けるプライオリティーが低く判断されるという意味である。

以上の諸因子を考えると、日本国などヤハヴェ神を信仰していない国では、尊厳死は決して制度化すべきではない。

注釈:
1)キリスト教圏の国でも、以下に述べる尊厳死への心理的強制が無いとは言えないが、その強制力はかなり小さくなる。
2)日本でも個人主義を国家としては標榜している。個人の権利や個人情報保護を神経質な程に拘るのは、本質的にそれらを持っていないからである。

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