人間の知的能力には多くの面があるが、それらは、1。記憶力、2。論理・分析力、3。想像力、4。直感力、5。空間的時間的感覚、6。美的感覚、などだろう(補足1)。知的能力は、生命体としての能力の一つであり、従って生命力の一側面であると思う。
これらも更に何種類かの能力に細分されるだろう(補足2)。つまり、知的能力は”多次元のベクトル空間(補足3)を張る”とでも言えるだろう。上記6つの側面は思いつくままにリストアップしたまでであり、他にもいろんな組の捉え方があるだろう。
6番目に美的感覚と書いたが、これは、生命力と知的能力の境界に位置する重要な能力であり、人を人たらしめる能力だろう。ただ、生命体固有の能力の部分と、文化により調整される部分を持つ。
知的能力の内、そのエネルギーは体液循環により与えられ、情報収集は感覚器と神経系、更に脳の記憶領域からの引き出しにより行われる。それらの処理と最終的な出力すべき情報の組み立てなどは、主に頭脳が担当する。
人は、生命維持(社会の維持も当然含まれる)と再生産を能率的に行う為に、様々な能力を持っている。知的能力は、その行動の指針を得るための能力である。
知的能力は、自分自身と他の生命体(社会も含む)、そして自然などの周囲・環境と、それらの運動や変遷などを理解し、それらに働きかけるための作戦を立てる能力である(補足4)。それらを実行する能力として、四肢を使った運動能力、あるいは、目や耳などの感覚器を使った状況把握能力、更に顔の表情と口舌を使った対話・説得能力などが付け加わる。これらすべてが総合されて、人間の能力を成す(補足5)。
今後、このブログを書くための準備として、この文章を書いた。このような考察は、哲学(philosophy= 知を愛する)の内どの学問分野に属するのか解らないが、筆者は素人である。プロの方がおられたなら、コメントを歓迎します。
補足:
1)知的能力を鍛えるのが学校であり、途中の成果を試験するのが大学入試だとすると、それらの現状が如何に不完全であるか解るだろう。特に入試では、主に最初の二つの能力をテストするに過ぎない。
2)記憶にも、図形・パターンの記憶、事実の記憶、論理の記憶、概念の記憶、感覚の記憶などがある。更に、記憶場所によって長期記憶と短期記憶に分類される場合もある。論理の記憶は、論理展開の能力と重なる部分である。このことで解る様に、知的能力はある種の多次元空間での信号伝達能率と有用情報抽出能力とでも言える。
3)ベクトルとは長さと方向を持った量であり、矢を思い浮かべれば理解できる。我々が生きる物理的空間は、x軸、y軸、z軸の3つの方向があるので、3次元ベクトル空間といえる。
4)自分自身に働きかける行為として、学習や休息・娯楽も含まれる。
5) これらの考えを理解するには、コンピュータを想像すると良い。頭脳は、CPUと記憶装置、更にそれに組み込まれたソフトで構成される。コンピュータは人間の頭を参考にして作られたのだろう。
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