注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2019年6月16日日曜日

報道写真一枚に世界を変えるほどの力を与えてはならない:今日のあるテレビ番組に対する批判的レビュー

1)今日の「そこまで言って委員会」は、「世界を変えた報道写真の謎」という題目で、歴史的瞬間を収めた有名な報道写真が紹介された。

それらは:①天安門事件の際、鎮圧にあたった軍の戦車の前に立ちはだかる男の写真、②9.11同時多発テロの時に取られた「9/11 The falling man」(崩壊する高層ビルから飛び降りた人)の写真、③湾岸戦争本格化の切掛になったと言われる「油に塗れた野鳥の写真」、④アフリカのスーダンで餓死寸前の少女の後ろでその死を待つかのようなハゲワシの写真、⑤長崎原爆の被害を撮影した米軍従軍カメラマンによる「焼き場に立つ少年の写真」、⑥硫黄島の戦いの後に島に星条旗を掲げる兵士の写真などが、とりあげられていた。

それらの写真についての背景や情況を紹介し、写真を撮影した写真家の立場や気持ち、報道写真が果たした役割・意味や疑問点などを紹介する内容だった。

この番組で何時も引っ掛かるのは、この放送の興味本位に事件を語る姿勢である。以前、司会の辛坊治郎氏が、この番組はニュースショウでありニュース解説ではないと言ったが、それでも放送する限り公共の福祉に寄与するものでなくてはならない。(先日の「ブログ人の不幸を楽しむニュースというテレビ番組」参照)しかし今回も、残念ながらコメンテーター達が重大事件を雑談風に議論していた。(補足1)上記の内、3つの写真についての放送内容を要約して示す。

2)2番目の写真は、アルカイダに乗っ取られた飛行機が世界貿易センター(WTC)ビルに突っ込んだ事件に関係した写真である。WRCビルは、その後災に包まれて崩落するのだが、その高層階に取り残されたある人が、ビルに残って死ぬか飛び降りるかの選択に迫られ、究極の選択として後者を選び、まさにその人が落下中の写真であると紹介していた。その想像を超える恐怖を、明確に示しているように見える。不思議なことに、そのWTCビル崩落の場面は、現在米国では放送を自粛しているという。 WTCビル崩壊の場面は、中東での米国の軍事行動の際には、大いに利用したのに、何故今さら放送を自粛するのか?上記写真やWTCビル崩壊の動画を、米国マスコミが放映自粛しているという話をするのなら、この事件そのものの謎についても話をすべきである。例えば、WTCビルの第1、第2ビルの他に、第7ビルも崩壊したことの謎は、米国政府や報道機関の通常の説明では納得できない。何故なら、第7ビルには飛行機は衝突して居ないからである。何故、WTCの跡地を早々と公園にしてしまったのか?https://dot.asahi.com/wa/2012092600508.html

①の天安門事件の戦車の前に立つ男の話の時、現在中国では天安門事件全体がタブー視されていると詳しく紹介しながら、WTCビルの崩壊について、その謎の部分も紹介しないのは、非常に不自然である。(補足2)

4番目の餓死寸前の少女とその後ろのハゲワシの写真は、1993年にケビン・カーターというカメラマンが撮影した。この写真はニューヨーク・タイムズ紙に掲載され、アフリカの悲惨さを象徴するとして、世界中で有名になった。しかし、この写真家は1994年にピュリツァー賞を受賞した3ヶ月後に自殺したという。この写真に関して、過酷な状況にある幼い少女を助けずに、写真を撮ることを選んだ写真家を非難する声が巻き起こったことを、番組では写真家の自殺と関連つけて紹介していた。(補足3)https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120125/297289/?P=2

番組のこの部分では、参加したゲストコメンテーターのカメラマン二人に、写真家の姿勢に関して意見を求めて居た。そこで宮島茂樹氏は、自分は写真を優先的に撮っただろうときっぱりと発言していたのが印象的であった。カメラマンとしてのプロ根性を正直に明らかにした宮島氏には好感を持った。何故なら、カメラマンは現場に干渉しないことで、カメラマンたり得ると思うからである。現場に干渉する人間は、写真を捏造する人間にもなり得る。実際、③や⑥の写真は、現場を作って写真を撮ったということも、番組で紹介されていた。

なお、この写真に関する重要な点を、この番組は隠していた。それは、ハゲワシに狙われているという少女の母親が、そのシャッターを押す時、すぐ近くに居たことである。食料配布所で、両手を塞がれて居ては、十分な食料を手にすることが出来ないから道脇に暫く放置したのである。更に、ハゲワシは近くの汚物置き場に多数集まっており、写真の一羽も特に少女を狙っていたわけではないとウィキペディアのケビン・カーターの項には、その同じ場面にいた同僚の話として書かれている。

宮島氏らカメラマンもその話は十分知っている筈である。何故、話さなかったのか?

5番目の写真は、長崎への原爆投下で死亡した弟を背負い、焼き場に持ち込んだ少年の写真である。その写真は米国の従軍カメラマンのジョー・オダネル氏により撮影されたが、彼は40年以上封印していたという。1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たことを契機に写真を公開し、原爆正当化論が根強い米国において、批判に耐え続け2007年8月9日に85歳で亡くなるまで、各地で写真展を開き戦争反対を訴えたという。(https://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html

番組では、米国の一部がこの写真が原爆投下後の長崎で撮影されたとは思えないという疑問を、幾つかの根拠とともに提出しているということも極簡単に紹介していた。確かに、死亡した少年の顔も、それを背負う子供にも火傷などの痕は見当たらない。更に、何よりも43年間も封印されていた事情が、写真撮影を仕事にした人の考えとして納得できなければ、上記疑問を退けて真実を写したものとして受け入れられないだろう。

つまり、40年以上封印したことと、公開後は米国での批判に耐えて死ぬまで写真展を開いて戦争反対を訴え続けたたという後半部分の姿勢との接続が、我々視聴者の頭の中でスムースに出来ない。その困難を解消すべく、その公開する決断の経緯と心情の変化をもう少し詳細に紹介する義務が、番組を政策する者にあると私は思う。

3)結語:

これらの写真を全て同じ報道写真という範疇で紹介しているが、その中には最初から政治利用を目的に作られた写真が混ざっている。それが混ざり得るのは、それを紹介するマスコミが金儲け主義を報道の動機としているからである。

何が言いたいのか:一枚の写真は、どこまでも一枚の写真に過ぎない。その中に(衝撃的な)事実を十分な確度で含む事も、写真の出来次第で可能になると考えるのは間違いである。事実は常に、写真を含む多くのデータとそれらの綿密な分析と考察があってこそ明らかになる。その基本を無視した報道、それを持てはやす“何とか賞”は、有害無益である。(6月17日早朝編集)

補足:

1)報道番組には一定の基準(内部基準かもしれないが)がある。その基準を無視したいために「そこまで言って委員会」はニュース・ショーという性格づけを行なっている。

2)①と②の写真は供に、国家の政治と深く関わった場面である。その政治的出来事の意味とその中での写真の位置付けについて、一定の精度で話すべきである。天安門事件に関しては、特別ゲストとして6才から12才までを中国で過ごした岡田紗佳さん(25才)をゲストに呼び、「天安門事件のことは日本で初めて知った」と証言させている。

3)人の自殺には相当に深い事情があると考えるのが、思慮ある人間の姿である。また、他人が自分の仕事の大事な部分を詳しい事情も知らずに批判したとき、怒りをエネルギーに変えて反撃するのが普通のプロの姿である。

0 件のコメント:

コメントを投稿