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2019年6月7日金曜日

人の不幸を楽しむニュースというテレビ番組

ヤフーブログ(姉妹サイトとしてきた)が廃止になった。amebaブログ(新しい姉妹サイト)に引っ越したのを記念して、丸山穂高議員の発言を真似して、愚かな文章を書こうと思う。非難轟々になれば、ブログをやめようと思う。

1)恐らく日本での特殊な現象だろう。テレビのニュース番組に占める個人的悲劇の割合が極めて高い。新聞でも、その種の記事とローカルな政治や経済の話題で埋められている。英国BBCのニュース欄とは大違いだ。

今朝の7時のNHKニュースでは、今後予想される豪雨などの天気に関するニュースに続いて放送されたのは、2歳児が親に殺されたニュースや、老人の運転する車が暴走した事故などである。その悲劇的場面を微に入り細に渡って、動画や静画を駆使して放送するのである。

そのような放送が一体一般人に何のニュース価値があるのか? 日本国民にとっては、ずっと後で放送された中露接近の方が遥かに重要なニュースである。それについては別途文章にしたいが、この中露の動きは、日本の国家としての存立を考える上で最重要の出来事である。それを表面の薄皮一枚の報道で済ませるニュース番組など、見なくて良い。NHKなど民間放送にし、視聴料制度を廃止すべきだ。(補足1)

人は社会的動物として誕生して以来、他人を自分と所属社会との関連で考えるようになった。その結果、社会の中で大きな話題となった第三者を、集団で評価したり虐待したりするようになった。前者は、英雄を群れ全体で褒め称える行動として、後者は集団で惨めな、又は、悪辣な個人を虐める性質として、ヒトの特別の性質として成立した。もちろん、社会生活をする動物には、人ほどでないにしても、これらの性質の片鱗が見えるだろう。

更に、そこからの延長としてだと思うのだが、社会全体を考えるほどの論理的言葉を持たない大多数の一般人に、(社会の)リーダーの行為に付和雷同する性質が備わったと思う。つまり、組織の下で動く大衆的性質の獲得である。その典型的な例は、同じ番組で放送されていた丸山穂高議員に辞任を要求する国会決議に、付和雷同するその他議員(大衆議員)である。(補足2)

2)これら大衆感情に100%迎合しているのが、日本の放送局やマスコミである。それを揶揄して「マスゴミ」という言葉もできている。そんな批判は、高給取りのマスコミ人には”道真に東風”ではなく、馬耳東風だろう。(補足3)

西欧政治文化の中で、マスコミは重要な役割を担っている。一般市民と政府の間にあって、政治に対する市民のフィードバックを仲介する機能を果たさなければならない。市民にその機能を利用する動き(国政論議)がないのなら、マスコミが政治的に堕落するのは必然かもしれないのだが。

公共放送を自認し、視聴料を税金のように集めるNHKも、上記のように堕落の例外ではない。NHKがこの為体(ていたらく)では、日本に将来はないだろう。その所為かどうかは兎も角、何もしないか猿真似しかできない人が、国会など社会の重要な位置に多く居座っている。(補足4)

この国は危ない、逃げた方が得だと考え、既にこの国脱出している人が、特に知的な層に多い。どうもそのような考え方をする人は日本国民だけではないようだ。

その本質的原因は、西欧の市民文化と異なった文化のエリアに、西欧的政治システムを持ち込んだ結果なのだろう。東アジア全体に言えることだと思うが、ギリシャやローマの時代からの政治文化を導入しても、100年ほどでは上手く働かないのは当然かもしれない。近代政治制度やその背後にある法治主義など、東アジア諸国はマスターしていないのである。

補足:

1)NHKに視聴料を支払う義務を定めているのは、放送法である。何もしない国家だから、この放送法もそうは簡単には改正されないだろう。以下、位置的にふさわしくないのだが、引っ越した際の挨拶がわりに現行憲法に対する筆者の考えを書いておく。

憲法前文に、「日本国民は、①恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、②平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。その精神から、憲法9条に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。念願と信頼を元に決意し、それをそのまま憲法にして国家を縛るという宣言である。「人間の優しさを念願し、生物間の公正なる関係を信頼し、従順なる家畜とならんことをここに決意した」と、牛や豚が宣言するのに等しい。牛や豚もこれほどアホではあるまい。

2)北方領土へのビザなし交流訪問団に同行していた丸山議員が、11日の夜、国後島の宿舎で酒に酔い、元島民の団長に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と質問したことを非難された。それ以外の小さいことは、その非難に人格攻撃を付け足し嵩上げするためのものである。

その疑問文は、「何の為のビザなし交流団なのかわからない。旧島民のあなた(訪問団の団長)は島を取り戻すことを目的に参加しているとしたら、それは無理ですよ」というメッセージである。日露問題は、もっと将来を幅広い角度で見て考えるべきであると言いたいのだと思う。もし、そうなら私は丸山議員のこの発言は、理解できる。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/05/blog-post_15.html

3)道真は学問の神様と言われる。その東風を感じて歌を読む道真と、何も感じない馬との差に着目して、四字熟語の”道真東風”を作ったということ。下らない冗談です。

4)上記丸山議員の非難決議に反対や棄権をした国会議員はほとんどいない。ただ一人、小泉進次郎氏が棄権したのみである。堂々と反対意見を述べ、反対票を入れるほどの人物ではないのが残念である。

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