1)「企業の設備投資はドブに捨てているようなもの 日本が成長できない本当の理由」という記事がNewsweek誌に掲載されたようだ。ヤフーニュ−スで10月8日14時30分配信の記事で読んだ。https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2019/10/post-81.php
日本の企業は、利益剰余金をたんまり抱えているが、設備投資をしない。それが、日本が成長できない理由としてよく言われている。しかしこの記事では、日本の企業は設備投資をドブに捨てているようなものと切り捨てている。
その一例としてシャープの経営破たんを取り上げている。つまり、本格的に液晶デバイスへ事業の転換のため、巨額の投資をしたものの、液晶の価格破壊が一気に進み、膨大な損金を出して経営危機に陥った。
液晶が汎用品的になり、価格破壊が進むことは誰もが認識していた筈だが、何故か設備投資に邁進し、大方の予想通り巨額の損失をもたらしたと言うのである。
そして結論として、シャープの経営危機は、結局経営トップが優秀でなかった。従って、その対策として、「効果的な設備投資を実現する唯一の手段は、適切な市場メカニズムを通じて、有能な経営者を企業のトップに据えることである」と主張する。
更に、政府にできることがあるとすれば、ガバナンス改革を強化し、国民の経済活動を貯蓄から投資にシフトさせることで、企業の行動原理を変化させることだ。」とある。
2)私の感想:
日本が経済成長しない原因として、安倍内閣の参与である藤井聡氏、三橋貴明氏、高橋洋一氏などの、積極財政でデフレ克服するという提案は間違いで、このニューズウィーク誌の指摘の方が正しいと思う。
最後の「政府に関するガバナンスを改革する提案」は、規制緩和の話かと思うが、もう少し具体的に言ってもらいたい。私の意見としては、年功序列的な賃金制度を廃止し、賃金を労働の対価となるように側面から支援する政策や法整備を行い、労働市場の流動性を改善することが必要だと思う。
ただ、適切な市場メカニズムを通じて、有能な経営者を企業のトップに据えることで、効果的な設備投資が出来るだろうか? 私はそれは本質的な解決にならないと思う。
Newsweek誌の記者の疑問:「何故誰もが気づいている液晶市場の性格変化が、シャープの経営トップが見抜けなかったのか?」が正当な指摘なら(誰もがに注目)、それは液晶テレビの主要メーカーだったシャープの幹部社員の多くも気づいていた筈である。
つまり、シャープという当時の一流企業の上層部が、馬鹿ばっかりだったのでない限り、会社の方針に疑問を持つ取締役などがシャープにも多く居た筈である。しかし、その意見が取締役会などで議論されなかったのだろう。以下は私の持論だが、日本の会議は議論する場ではなく、最上層の考えの伝達と承認の為にある儀式に過ぎない。
日本社会には議論の文化がない。議論が成立する為には、会議の場において対等に向かい合う大勢が意見を出し、それを批判する自由が確保されなければならない。しかし、日本の会議においては、意見の重要度を決定するのは、第一にその意見を出した個人の順位であり、意見の内容は第二の根拠にすぎない。
つまり、日本の低迷は、経営者個人の能力だけが問題で生じたのではない。頭(経営トップ)だけが悪いのではなく、全身疾患だと私は思うのである。繰り返しになるが、西洋(Newsweek誌所在の)には普通に存在する「情報の伝達や交換により、会社の方針をbrush upする会議という機能」が、日本には欠けている。
深刻なのは、その我々がまともな会議を持てない原因として、日本では個人間の情報の伝達や交換(つまり会話)を阻害する様々なファクタが社会全般に存在する。それは日本文化そのものの特徴、或いは、欠陥である。
そしてそれは、シャープだけでなく東芝などの他の一流企業の低迷や破綻にも現れている。西室泰三氏は優秀な経営者だった筈である。何故、米国ウェスティングハウス社買収で会社を傾かせ、日本郵政社長になっても、フランスの物流会社の買収で巨額の損失を出したのか?
どのような決断でも、最後は経営トップが決断するだろう。その決断の前に、その方向についての議論が経営陣の間で円滑になされたのか? また、その材料となる情報を経営陣が部下から吸い上げることができたのか? どのような組織でも、非常に優秀な人の独裁では必ず破綻する。
3)会社など社会組織は、生体をモデルにすべき
会社などの組織が、存在を維持し成長するには、人体など生命体に学ぶべきである。人体を構成する細胞は、廻りと或いは全体と情報を交換することで、その細胞の役割を果たしている。 頭の細胞も内蔵の細胞も手足の細胞も、夫々異なった役割を持っているが、貴賤の区別はなく平等である。(補足1)
経営のトップにはトップの役割が、その下の経営陣にも固有の役割が、そして末端にも末端の役割がある。それを円滑に果たし、その際に必要な情報の受け取り、得た情報の伝達(発信)は円滑でなければならない。
それは西欧が長い歴史の中で獲得した知恵である。その西欧文化を受け入れながら、それを十分理解せずに、その社会組織は徐々に日本化しているように見える。(補足2)
日本方式の社外での飲み会などによる懇親関係の構築は、西欧文化に無い有害な習慣であり文化である。裁判という事業の円滑な遂行のために、裁判官、検事、弁護士が懇親会を開くようなものである。西欧文化に学び、それを取り入れるのなら、その本質まで理解し、自分たちのものにしなければならない。
どの社内にも大勢居る筈の若い優秀な人物を、経営陣に押し出すことで生命を維持し成長させるのは、生命体としての会社における日常的な情報交換や議論の積み重ねである。それは会社員が昼間仲良く幸せに暮らすためではない。会社の事業のためである。(補足3)
派閥や学閥のような人脈支配の人事では、会社が潰れるまでは、仲良く幸せに暮らせるだろうが、会社の維持や発展は不可能である。単に市場原理で経営トップを何処かから引き抜いても、その人一人が社内で浮き上がってしまうだろう。米国では、社長と平社員でも、互いにYOUで呼び合う。そして、個人の尊厳は、社長と平社員でも同等に重視される。(補足4)
西欧文化では、情報の流れに対し、なるべく障壁を無くするように出来ている。その文化の中で進化したのが、西欧言語である。それを意識したのが、ソフトバンクや楽天の英語公用語化だと思う。つまり、会社経営から日本文化を追放する意味もあるのだろう。
同じことが政府にも言える。先日の韓国に対する経済制裁のちぐはぐは、閣僚の間での円滑な議論の結果だとは、とても思えない。上からのトップダウンの方向で、決断のみがながれたのだろう。それでは、トランプ方式だと揶揄されても仕方がない。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/blog-post_94.html(7月4日の記事)
政府が考えるべきは、急には効果がないが、日本文化の改善が最も重要である。情報交換を双方向に円滑に行う文化の構築である。そのためには、上記大企業に習って、50年程度かけ、英語を公用語にすることが最も早いかもしれない。
その他、教育の現場では、生徒には思考と発表をさせ、それを生徒と先生の間、或いは生徒間で議論する形の授業に変える。ノートブックなどは教室から追放すべきである。
日本語の改革も重要だろう。複雑な敬語を廃止し、丁寧語を中心に整理するべきである。漢字も、当用漢字を一定数選定し直し、それ以外は廃止する。熟語も、「慚愧に堪えない」「内心忸怩たるものがある」などの慚愧、忸怩など訳のわからない表現は廃止する。
以上はとんでもない提案かもしれない。しかし、そのような議論を先ず、あらゆる場所で行うべきである。
補足:
1)今週のテレビでは、学校の先生同士でいじめが発生していると言うニュースが大きな話題になっていた。個人の尊厳という概念は、学校にも存在しなくなった。失礼なことを言うヤツがいれば、殴るのが戦前の日本だろう。大人まで幼児化が進む時、個人の尊厳なる言葉は日本社会で死語となる。
2)社会のピラミッドにおいて、上の意見が重要視されるのは人間社会共通である。しかし、下の人数は上よりも多いので、少なくとも階層全体としての意見の重要度は同じでなくてはならない。しかし、日本を含めて東アジアの儒教圏の国々では、上の意見の重要度が絶対的と言えるほど高い。それが、儒教が支配的になった中国や朝鮮が独裁に向かった理由である。圧倒的に数の多い下層に不満が蓄積した時、革命が起こる。その独裁体制の発生と強化、そして革命のサイクルが、中国の易姓革命である。朝鮮も高麗にあった仏教を廃止し儒教の完全支配になり、易姓革命的な李氏朝鮮になった。韓国は、その実態をもっと真面目に研究して、反日に頼る以外の国民団結の手段をつくるべきである。決して、独裁に戻ってはならない。
3)「日本人は仕事が好きだが、西欧などの国では仕事は苦役であると考える」と言って、日本の労働文化を自慢する人が日本人に多い。しかし、その日本人が考える楽しい仕事と、西欧人が感じる苦役という仕事の側面は、「仕事」が同じなら互いに矛盾する。つまり、西欧人も日本人も同じ人間なら、日本人が感じる楽しい筈の仕事と、西欧人が感じる苦役としての仕事は、異質のものでなくてはならない。
4)社長にとっての現場の職員と、現場の職員にとっての社長は、等しく会社の社員であり、異なった役割を分担している平等な関係にある。少なくとも生命体ではその様になっている。頭はどこかへ向かうべきと、足に情報を流すだろう。足はその情報を受けて、移動するだろう。それは、頭も足も胃も腸も含めて、生命体全体のためである。上下の関係は会社の円滑な機能発揮のためにあるのであり、私的な人間関係や個人の尊厳、とは無関係である。
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