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2022年6月14日火曜日

サンデル教授のトロッコ問題とその周辺

今回、サンデル教授のトロッコ問題を再び書くことになった。それは、president onlineの中の記事:“「人を助けず、立ち去れ」が正解となる日本社会”(2019・10・21)を今朝たまたま読んだからである。https://president.jp/articles/-/30327

 

トロッコ問題: 暴走するトロッコの先に、作業員5人が居る。このままでは5人が殺されてしまう。ただ、トロッコの線路前方に分岐があり、その切り替えレバーを切り替えて進行方向を変えれば、5人を助けることが出来る。しかしその場合、切り替えた進行先に作業員が1人おり、犠牲になる。レバーの近くに居るあなたは、どうするのが正しいか? 1人を犠牲に5人を助けるべきか、そのまま5人を見殺しにして去るべきか?

 

president onlineの記事では、この問題を授業に取り入れた岩国市立東小と東中で、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が児童・生徒の保護者に文書で謝罪したことを紹介している。そして、日本社会では「人を助けず、立ち去れ」が正解となると書いている。

 

私は、この記事は「自分ならこうする」或いは「正解は無い」などの結論を出していないので、この問題を考える上では評価に値しないと思う。ただ、保護者の言葉に過剰に反応する日本の学校の現状から、日本社会の脆弱さを指摘する気持ちは分かる。それでも、表題(上記下線部分)は不適切である。

 

このトロッコ問題は、一時話題になったので、多くの方が議論している。レバーを中立にするとか、トロッコを急停止させる方法があるとか、問題の趣旨を変更して議論する無意味な投稿も多くあった。

 

それらの中で、NEWSポストセブンの記事に、この問題(補足1)に対する真面目な回答があった。例えば、山口真由さんは、自分なら法律の観点から判断するとした上で、何もしない(レバーに触らない)と答えている。また、茂木健一郎さんの答えは、「(詳細がわからないので)その場面にならないと分からない」だった。https://www.news-postseven.com/archives/20200428_1557445.html?DETAIL

 

茂木健一郎さんの指摘の通り、何らかの付帯条件無しに、この問題に答えることは不可能である。ただ、現代社会を前提にした場合は、山口真由さんの結論は正しいだろう。


 

2)トロッコ問題は回答不能である:

 

この問題について、以前議論したことがあった。善悪、そしてそれらを議論する道徳や倫理は、人間が社会を作って生きることになって初めて出来たと思う。そして、以下の様な意味の文章を書いた。ただ、以前投稿の文章を読み返してみたところ、自分だけ分かった気になっている拙い文章だと気づいたので、ここで再度解説する。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12567158034.html

 

 社会を作る目的は、敵や災害から構成員の生命や財産を守り、日々の生活を効率的に進めるためである。そして、構成員間の協力体制を築き守るために、善悪と道徳及び倫理を創った。従って、社会を構成する前提に関わる問題、つまり社会内、且つ、構成員の生命に直接関わるこの種の問題は、道徳や倫理の問題とはなり得ない

 

これでも分かりにくいかもしれないが、トロッコ問題への正しい理解であると確信する。以下、この問題とその周辺を考えてみる。

 

社会内とは対照的に、社会外の人間の生死は、問題として設定し得る。同様に、社会形成以前の原始の状況下にある人には、道徳や倫理は無関係である。社会内でもそのような情況(原始の情況)が、瞬間的に現れることがあり、その場合、法を適用をしない根拠の説明に「緊急避難」という言葉が用いられる。(補足2) 
 

ただし、上記トロッコ問題の場合、自分自身の生命には何の関係もないので、5人を救うことは緊急避難にはあたらない。従って、自分が社会の構成員として居続けたいのなら、つまり犯罪者となりたくないのなら、山口真由さんの出した答えの通り何もしないことである。

 

しかし、自分の大事な人(親族など)が5人の中に含まれるなどの理由があり、この社会から一時的に離れる覚悟を持つことが出来るなら、レバーを手にして5人を救うかもしれない。ただしその場合は、社会に戻った瞬間に殺人犯として罪を問われることになる。

 

山口さんは、「限界状況でやむをえないとなれば、犯罪とならない可能性もないではないが…」と書いている。限界状況という言葉は「緊急避難」の意味だろうが、裁判所がまともなら犯罪とはならない可能性は無いと思う。勿論、親族の命を救う行為であることと、そのほかの4人の命を救う行為なので、相当減刑されるだろう。

 

しかし、殺人罪に問われることは間違いない。そして、トロッコの進行方向を変えた結果、殺された一人の親族から恨まれ、場合によっては襲撃される可能性もある。それでも、5人を救いますか?という話になり、上記のように特別な状況にないのなら、誰もが何もしないだろう。

 

この場合、もし自分がレバーの近くに居て、事件後に「何故あなたはレバーを操縦して5人を助けなかったのか」と問われることが分かっていたなら、5人を助けないとその後非常に拙いことになるかもしれない。(補足3)
 

具体的になれば、この問題は無数に変形可能となる。

 

 

3)戦争や死刑といった殺人行為は禁止すべきか:
 

上に、社会外の人間の生死の問題は、社会内の道徳や倫理に照らして議論の対象になりえると書いた。具体的には、死刑と戦争がある。

 

死刑は、特別な刑である。その判決は、罪人を社会の外の存在と見做すことにより可能となる。ある犯罪行為により、社会から放り出され”社会の敵”と見做された人は、死刑になる可能性がある。あくまで死刑反対を叫ぶのは、自分と自分の味方の命を軽視する主張であり、「戦争絶対反対」の姿勢と似ている。勿論、冤罪もあり得るので、死刑判決は科学的な捜査と論理的な裁判が前提となる。慎重で論理的な判断を要するのは、戦争開始の決断と同様である。
 

ここで戦争は、自分たちの社会の外に存在する人(外国の人)に対する攻撃であり、自分たちの社会を守るために必須なら、最終的な手段としてあり得る。その権利を放棄することは、既に述べたように自分達とその子孫(つまり、自国民)の命の軽視にあたる。日本の人は、この厳粛なる事実から目を背けている人が多い。

 

トロッコ問題を延長して、このような議論が学校で為されるのなら、それは有益な授業となる。勿論、そのような教育は、義務教育の最後の方に限るべきだろう。
 

ここで戦争に関する理解は、時代とともに地域とともに微妙に変化することを書いておきたい。それは、「国際社会」に対する認識が時代や地域によって変化するからである。


 

補足:

 

1)実際の問題は、トロッコ問題を相当変更している。しかし、本質的には同じ問題なので、トロッコ問題への回答として、紹介した。

 

2)ここで、緊急避難とは、一時社会のルールから離れることが容認されるケースのことである。空間的に社会から隔絶された場所(密林や孤島の中)に無期限に閉じこめられた場合とか、自分の生命に危険を(客観的に検証しうるほどに)感じた場合などである。これらの場合、自分自身の生命を守るためにとった行為に関する責任は免れられる。
 

3)レバーを切り替えると当然殺人罪を犯すことになる。一方、何もしない場合、社会からバッシングを受けてノイローゼになるかもしれない。究極の選択を強いられることになる。そのような場合でも、5人を救うことは合法であると功利主義的な法整備を行うべきではない。

 

 

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