注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2022年6月29日水曜日

異文化と原点思考:デヴィ夫人による草薙への言葉

文化的背景が違う人たちと共に暮らすことは困難である。それは、人類が民族毎に主権国家を作って生きることの理由である。

 

その困難は、先日の米国左翼の地区検事の話を思い出してもらえばわかる。或いは、6月2日に紹介した米国の有力な圧力団体サイモン・ヴィーゼンタール・センターの副館長の「原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」という言葉を思い出せば理解できるだろう。

 

既に日本に暮らしていても、異文化の背景を持つと思われる方が多くおられる。それらの人々の言葉や人物の評価を正しく行って異文化を学ぶべきである。一般に、日本など孤立民族が滅びやすいのは、異文化を正しく理解しないことである。中世の米大陸の原住民もその例である。

 

以上のことを分かりやすく説明するために、日本人の多くが関心をもったであろうケースについて議論する。下に引用のgooいまトピランキングの中の一節をご覧いただきたい。以下の文章で使われる”ディスる”という言葉は、英語のdisrespectに由来し、disrespectする、つまり”侮辱或いは無視する”などの意味だろう。若者の感覚が十分わからないので、原文のまま引用する。

 

デヴィ夫人が、614日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演。共演者の容姿を次々とディスり、視聴者をザワつかせた。

 

俳優の手塚とおるは「全く共感されない私のポジティブorネガティブ思考」とのテーマで発言した。手塚の表情を見て「ちょっと待って。だからあなた、なんか容貌が不景気ですよね?」と突然手塚の顔をディス。手塚は「60年生きてきて初めて言われました」と嘆いた。

 

さんまはここで『宮下草薙』の草薙航基に「草薙も不景気やもんな?」と話を振った。草薙が「顔がですか?」と反応すると、デヴィ夫人は「あなたは(顔や容姿が)汚い」とバッサリ。スタジオから笑いが漏れる中、草薙は「汚い…?」と目を見開いて絶句していた。(原文のまま)

 

この場面をたまたま私も観ていた。そして、デヴィ・スカルノさんのこの言動に非常に腹立たしく思うと同時に、何故この人はこのような汚い言葉を吐くのだろうかと考えた結果、この方は異文化の背景を持っていると思い当たった。

 

そして、インドネシアのスカルノ大統領の第三夫人デヴィル・スカルノさんの起こした犯罪やトラブルをネットで調べてみた。

 

その結果、デヴィ夫人にはたくさんの裁判沙汰があることがわかった。その中に、私の記憶にのこっている件が一つあった。それは、1992年の米国アスペンでの事件である。

 

その頃は、デヴィ夫人の行為を名誉を傷つける言動(フィリピン大統領の孫に売春婦呼ばわりされた)に対する反撃であると考えていた。そしてその後書いたブログでは、デヴィ夫人を擁護する文章を書いた。(補足1)

 

このケースでは結局、デヴィ夫人に禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が言い渡された。

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07300558/?all=1&page=2

 

2014年に日本のテレビ局で起こった暴行事件もよく知られているが、ただその詳細はアスペンの事件同様、徐々に消されようとしているように感じる。

 

あるバラエティ番組で、六本木のホステスだったある女性が、人生相談のコーナーに出演し、「デヴィさんのように玉の輿に乗りたい」と言ったのである。その言葉に「私は玉の輿に乗ったのではない」と腹を立てて、その一般人女性を殴った事件である。

 

事の詳細は、週刊朝日に掲載されたようで、それを引用した記事がAERAdotにあった。https://dot.asahi.com/wa/2014012800059.html?page=1 他人にディスれれば、その相手を殴る。その一方、隙あれば自分の鬱憤を晴らすかのように、他人をディス

 

いったいこの人はどのように教育されたのだろうかと思い、デヴィ夫人の幼少期からの話を掲載したサイトを探した。https://invitesnostalgia.com/the-beautiful-mrs-devi-was-called-the-oriental-pearl-in-the-midst-of-the-battle-i-asked-an-enemy-general-to-meet/

 

相当貧しい幼少期を送ったようだが、それでも十分な理由にはなり得ない。そこで結論として、異国の文化を受け継いだ人なのだ思うことにした。或いは仮に、同じ日本民族の一員だと考えると、民族のアイデンティティが崩壊しつつあるのかもしれない。

 

兎に角、このような人物を頻繁に出演させるテレビ局は日本と日本人を馬鹿にしていると思う。

 

ただ、その時の腹立たしさは、デヴィさんを普通の人と考えていることの証拠である。もしテレビ局が日本の機関なら、原点から考えて、この人との付き合いをかんがえるべきである。(補足2)

 

尚、ディスるなんて言葉は嫌だが、言葉を変えると違う意味になるように感じたので、原文に従って、そのまま用いた。表題は、異文化との付き合いには原点思考が必須であるという意味。

 

2)戦いの本能を失った動物は美しくない。

デヴィ夫人が「あなたは(顔や容姿が)汚い」と言われた草薙だが、スタジオから笑いが漏れる中、草薙は「汚い…?」と目を見開いて絶句する以外に、何もできなかった。

ここでは、日本人の情けない姿が露呈された。ツカツカとデヴィさんに近づいて、平手打ちを見舞うべきだった。しかし、そのように振舞った場合、日本文化に染まった周囲から、十分な理解は得られないだろう。「やっぱり暴力はいけないです」というだろう。

その上、今後テレビ局は草薙を出演させることを避けるだろう。その現実を知って、何もできないのが日本人である。そこで非常に情けないのは、それを「暴力は不道徳だから」と自分でも納得してしまうことである。(補足3)

 

またの機会に議論したいのだが、「私は、一方で戦いを肯定する。戦いの中に美しいものを認めもする。否、戦いの無いこの時代に倦みさえしている。」そんな文章が月刊クライテリオンに掲載されていた。小畑敏という方の文章である。

 

この日本に対する指摘は、警告のようにも聞こえる。


3)三つの思考:哲学的思考、パラダイム的思考、現実思考

我々が物事を考える時には、そのレベルを先ず決定する必要がある。ボクシングをする場合、先ずそのリンクを設営する必要があるのと同様である。表題は、その3つの思考のレベルを表している。(補足4)

 

異文化との付き合いには現実思考だけでは解答が得られない。最終的には哲学思考(つまり、原点思考)からスタートする必要がある。

現在の国際政治は近代西欧文明の枠組みで考えるのが普通だったが、ある有力な(少数)民族が国際的に力を持ち出したとした場合には、(自分達が生き残るためには)思考のレベルを原点思考に戻す必要がある。一方、単一民族の現在の政治課題が対象なら、政策レベル(現実レベル)の思考で、能率の高い議論をすべきである。

 

繰り返すが、異文化の背景を持つ方との付き合いは、原点から考えて、決めるべきである。原点では人間は動物に戻る。法律も道徳も無い。そこから、現在の文明へのプロセスを考えて、ある異文化を背景に持つ人の行為を評価し、それに対する自分の行動を決定するのである。

 

その原点思考(或いは哲学的思考)では、サイモン・ヴィーゼンタール・センターの副館長の「原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」という発言も、彼らが支配する社会では不道徳でも不思議でもなくなるのである。

 

つまり、副館長の言動の背後には「日本人は異文化の人たちであり、あの戦争で米国が受けた大きな損害は、異文化との闘いだったからだ」が存在する。つまり、映画「猿の惑星」の原作を思い出すべきである。(ウィキペディア参照)

 

更に、ロシアとウクライナの戦争が米国とロシアの戦争であることは、少し知的な人は十分知っている筈。そして、その戦争の背景にあるのは、文化的背景が異なる二つの覇権国の間の戦争であることに気付くべきである。

 

つまり、この戦争を国際法違反という人間文明の最後の方の基準で善悪判断すべきではないし、そのパラダイムでは全く理解できないということを意味する。そして、現在ロシアの原爆が未だ落とされていないのは、恐らくプーチンが敬虔な正教徒だからだろう。プーチンが思考の前提を原点に戻せば、その時核兵器はどこかに落とされるだろう。

 

最後に、この記事の中のディス(ブログ筆者の注:ディスる=disrespect; 侮辱する、馬鹿にする)という表現が、情けない。適当な日本語はないのかと思う。以上、自分の覚書としてこのブログサイトを借りて掲載・保存します。

(10時20分、編集あり;14時 最初のセクションの最後に一文章追加)

 

補足:

 

1)自分の尊厳(dignity)を守ることは人権の範囲に入る。その意識が日本人に少ないことを憂い書いたブログ記事だった。そしてデヴィ夫人が自分の尊厳を貶された場合には、平手打ちも許されるのではないのかと考え、以下のブログ記事の補足4に書いたのである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12561622325.html

 

2)実は、この場面をテレビで観たのが、この記事を書く動機である。もっともらしく前後を囲っているが、それでも不自然だと気づかれる方のために書いたのが、この補足である。

 

 

3)米国のオバマ大統領が広島を訪れ、生存している被爆者の男性と面会した場面を覚えている人は多いだろう。そこで、なんとオバマがその男性を緩やかにハグするのである。それは美しい和解の儀式と見た人は多いかもしれない。しかし、オバマはドローン兵器で約3000の異国人の殺害を命令した人物であることを知っていたのだろうか? オバマが土下座したのなら兎も角、あのような醜い光景は、原点思考が出来ない日本人の姿である。

 

4)文系の方は、philosophical level, paradigm level, policy levelというらしい。哲学、枠組み、政策の3レベルである。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿