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2022年7月10日日曜日

安倍元首相銃撃事件から何を日本は学ぶのか?

安倍元首相が8日、暴漢に銃撃され死亡した。この件、国内だけでなく海外にも大きな衝撃を与えた。ブラジルのボルソナーロ大統領は8日、国として3日間喪に服することを宣言した。インドのモディ首相も1日間、喪に服して政府庁舎に半旗を掲げるなどして弔意を示すという。この対応について、日本人の一人として感謝したい。

https://www.asahi.com/articles/ASQ787RDKQ78UHBI069.html

 

その一方、日本国政府からはそのようなメッセージは無かった。この元首相暗殺という事態を、日本は十分消化できないように見える。そこで、この事件から何を学ぶべきかについて少し考えてみることにした。

 

1)事件の発生原因という観点から考えるべきこと

 

犯人の山上徹也(41)は、安倍元首相がある宗教団体と関係が深いと考えて襲撃したようだ。父親の急死後、母親がその宗教団体に加入して大金を毟り取られ、家庭が崩壊した恨みが原因だという。
 

山上徹也は、郡山高校という奈良県では屈指の進学校を卒業しており、在学中には応援団に所属して甲子園にも行ったようだ。卒業後は何処かの大学(口コミでは同志社大学工学部)に進学したが、その後、母親の破産により退学したようだ。自衛隊に3年間所属したのは、金を稼ぐためのようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fd0b5d7c6f1116d95f4de1575527d6fd2eee7327

 

このような宗教団体に関する恨みは、日本によくある話である。犯人は、安倍氏がこの宗教団体を支援するような立場だったと思い、私怨によって犯行に及んだのである。実際、犯人は今回の襲撃が安倍氏の政治姿勢等には無関係だと供述している。これがこの事件の原因について犯人側から記述すべきことの殆どだろう。(補足1)

 

新聞には驚くべき視点でこの事件に関する社説や記事が書かれている。それは、「言論は暴力に屈しない」(9日中日新聞社説)、「暴力に屈しない、参議院選きょう投開票投開票」(10日中日一面記事)「’22参院選 きょう投票日 民主社会守り抜く行動を」(毎日新聞10日社説)などの表題を見ればわかる。

 

毎日新聞の社説は、以下の文章で始まっている。10日のもので、事件の概要を知った上で書かれている筈である。
 

自民党の安倍晋三元首相が銃撃されて死去するという衝撃的な事件の直後、異例の状況下で日本の針路が問われる10日は参議院選挙の日;ブログ筆者の注)。まず改めて確認したい。暴力によって命を奪い、言論を封じる凶行は断じて許されない。民主主義の基盤を揺るがすものだ。

 

全くトンチンカンな社説である。

このような暴力は、確かに反社会的行為である。だからと言って、例えば銀行強盗があった時には、民主主義の基盤を揺るがすとは言わない。犯人の山上徹也は安倍氏の政治姿勢に反対して、その言論を封殺した訳ではない。今回の件は、単なる私怨による犯行である。

 

要人がこのような形で殺されるようでは、日本人にとって本人と家族等の命の次に大事だとも言える日本国が、いつ何時崩壊するか分からない。この事件は、民主主義を守るという観点ではなく、日本国家を守るという観点から対策をしっかり再構築しなければならないことを示している。

 

この事件の原因側から考えるべき点としては他に、宗教と政治の問題がある。しかし、重ねて言うが、特別に民主主義という政治体制に関連したことで、この犯罪から学ぶべきことはない。

 

2)事件の防止という観点から考えるべきこと

 

次に、この事件の警備側に帰すべき原因について少し書きたい。この件、一般的な警備側責任に関して、奈良県の県警本部長により、問題があったとする考えが公表されている。しかし、私には警備に不手際があったことをもっと具体的に言うべきだと思う。そして、県警本部長は当然責任をとって辞任すべきである。

 

NHKwebの記事には、以下の様に書かれている。

 

現場で警備にあたっていた複数の警察官が「1発目の銃声が聞こえて初めて不審者を認識した」という内容の説明をしていることが分かりました。

 

当時、現場には警視庁の専属のSP1人配置されていたほか、奈良県警の私服の警察官なども含めると合わせて数十人の警備態勢でした。安倍元総理の後ろ側にも警察官が配置され、周囲を360度警戒していたということです。

 

しかし、沿道にいた人が当時、撮影した動画では、容疑者が元首相の斜め後ろからゆっくりと歩いて近づく姿が写っていますが、銃声が鳴るまで警察官が制止する様子は確認できません。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707601000.html

 

一般に銃で目的を射る場合、銃身の後方をしっかり固定しないと、目標を外す可能性がたかい。従って、安倍元首相の後方でとる銃撃の姿勢は目立った筈である。それにも関らず、だれもが一発目の銃撃まで気付かなかったのである。

 

テレビのニュース番組では、ビルの窓から眺めていた人が、警察(この人は間違ってSPと言っていた)が20人ほどいたが、皆安倍氏の方を向いていたと証言している。もし、後方に注意をしている人がひとりでも安倍氏の近くに居れば、彼を押し倒して、安全確保を図るだろう。
 

つまり、全く要人警護のプロが警備していたとは思えないのである。新聞が民主主義を守るという視点で書くのなら、要人警護の体制を見直すべきと書くべきである。

 

警備を職業とする警察官にせめて要人警護の実地訓練ぐらいして(している筈だが)、適切な技量をみにつけさせることなど、要人警護を完全に行うことも民主主義の要件の一つだからである。

 

補足:

1)新興宗教に関して、人の弱みに付け込んで金を毟り取られたという類の話が多い。日本(社会)には宗教を保護する税制などは完備しているが、宗教に対する哲学のようなものは殆ど生かされていない。その結果、あさま山荘事件のように、宗教団体とテロ組織との区別が大事件が発生しても尚ついていない。実際、オーム真理教の分派が、堂々と宗教的活動をしている。

 

追補1 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_12006/

追補2 以下の記事に、作家の高村薫氏も明確にこの事件は民主主義への挑戦とは言えないと書いている。https://mainichi.jp/articles/20220709/k00/00m/010/218000c

 

編集(11:30追補1追加; 12:30 小編集;7/11/5:00 追補2追加)

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