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2022年7月22日金曜日

宗教と政治の問題: 安倍元首相銃撃事件から日本は何を学ぶのか(2)

現代の日本における宗教と政治の密接な関係が、安倍元首相爆殺事件とともに世界中に配信された。安倍元首相だけでなく、下村博文元文部大臣など自民党議員のかなりが、統一教会(旧称)と関係があったと言われている。

 

これは日本の恥と言える。 何故なら、政教分離は近代国家の必須要件だからである。今回の事件を契機にして、日本が政教分離を未だ達成していない未開文明の国家であることが、大々的に世界に向けて暴露されたのである。

 

 自民党政府は、その被害者である安倍元総理の国葬を行うとして、問題をごまかそうとしている。それは国際的な恥の上塗りになりはしないか? 兎に角、国葬を行う場合は、法的根拠を明確にしてもらいたい。 

 

WeBlioというネット辞書によれば、1975年開祖文鮮明から日本統一教会に送金命令が下り、毎月約20億円、1985年までの10年間に合計約2000億円が文鮮明に送金されたという。そして、2001年までの25年間で被害相談額が1100億円を超えたようだ。

 

つまり日本統一教会(旧称)は、自民党の有力議員の世耕弘成氏が自ら起こした裁判で言及したように、反社会的な活動を行って来た宗教団体なのである。それに対して、日本政府は宗教法人格を与え保護してきたことを、この際徹底的に洗いなおすべきである。

 

 

安倍元首相の祖父である岸信介元首相は、北朝鮮などの共産主義と対峙するためにこの教団の創始者が作った勝共連合と、深い関係にあったようだ。更に、この参議院選で当選した自民党議員の中には、統一教会(旧称)の推薦で当選した方もがいたようである。 自民党と統一教会の関係はそれほど深く、以下のサイトにも詳しく書かれている。また、その記事中に元公安調査庁の菅沼光弘氏による現場報告的な解説動画も引用されている。

 https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashikosuke/20220721-00306495 

 

戦後の一時期に諜報活動として、統一教会を用いることがあったかもしれない。それは好ましいことではないが、やむを得ない部分もあっただろう。それでも、表の政治の舞台では、厳に慎むべきことである。それにも関わらず、21世紀の現代日本から堂々と国際的な場にその関連団体の集会に参加し、祝辞的なメッセージを送ったのだから、今回の事件の責任の一部は安倍元首相にも存在する。(補足1)

 

ここで、宗教と政治の問題の基本的部分から少し考えてみる。

 

 2)宗教の社会的意味の歴史的変遷について: 

 

古代、人が野生動物から社会的な人間になり、そして国家を形成するまでのプロセスにおいて、宗教は重要な役割を果たした。

 

我々の祖先は、独自の言語を作り出し部族を形成し、他の部族と生き残りを懸けて戦った歴史を持つ。その際に、偉大なるリーダーが神となり部族の団結の中心となった。それが人格神を崇拝する一神教の始まりである。例えば、旧約聖書には、そのような物語が書かれている。(補足2)

 

 その後、多くの民族或いは部族を起源とする人たちが一つの国家の下に束ねられて、中世から現代に至る。(補足3)そして、国家の支配力は、上記一神教の神ではなく皇帝に移り、現代では国家:つまり法とその執行機関等で構成される国家システムに移行した。法治国家の体裁が採られれば、その支配はより公明であり、その結果、国家の機能全体がより効率的になる。

 

中世以降の西欧の歴史は、政治や文化から一神教的な要素の排除の歴史でもあると言えると思う。(補足4)例えば、ルネッサンスは、キリスト教からの人間の解放という意味を持つ。

 

日本も、その西欧の政治文化にならって、19世紀後半に近代国家を建設した筈だったが、国家神道に頼る時代が続いた。それが国家の暴走に繋がったと言える。(補足5)

 

勿論、個人の心の中には、ある意味重要な要素として宗教心が存在する。そして、宗教は道徳の源泉として法とともに存在する。しかし公の政治空間では、宗教は名残以上には存在しないのが近代国家の原則である。 

 

このように考えると、宗教には二つのタイプがあると言える。一つは民族の歴史のなかで重要な役割を果たした(古代からの)宗教及びその連続上にある宗教と、所謂新興宗教である。新興宗教に対しては、あくまでも個人を対象に宗教活動をすること、社会システムに対する活動はしないという確信が得られなければ法人格を与えないことが大事である。

 

日本が自由と平等、人権、法の支配などを尊重する近代国家を標榜するなら、政治活動に手を染める宗教団体は、解散させるべきである。それは、別団体に政治活動を委ねる場合も同じことである。また、刑事事件の疑いがあれば、徹底的に捜査すべきである。

 

繰り返しになるが、政治活動を行う宗教団体は、近代国家においては、革命勢力と見做されて然るべきである。同様に、宗教上の人間関係を利用した政治運動は、厳に慎むべきである。

 

日本国憲法20条に、日本における信教の自由と宗教と政治の関係が記述されている。 

 

第二十条:信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 

③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 

 

公明党の政治活動とこの憲法に規定された政教分離の原則に関して、民社党(当時)の春日一幸議員により国会に質問状が出されている。その「宗教団体の政治的中立性の確保等に関する再質問主意書」には、宗教団体と政治の関係についての重要な問題提起がされている。

 

そして提起された問題は、未だに現代日本の政治の未成熟な部分として存在すると言える。(補足6)

 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a063003.htm 

 

補足: 

 

1)責任の一端があるというのは、山上容疑者の裁判において情状酌量の根拠の一項目として、安倍元首相と統一教会(旧称)との深い関係があったことがなり得るということを意味する。それ以外の意味はない。

 

2)日本書紀や古事記に書かれている物語もよく似ていると思う。ただ、あまり読んでいないことと、古事記には後の時代の創作であるとの説もあり、客観的な視点では引用できない。

 

3)日本は6-7の民族が統合されて、ヤマト民族となったと言われている。その統合の歴史が民話として残っているのが、出雲の国譲り伝説などである。魏志倭人伝などにも多くの国(民族)があったと言う記述がある。

 

4)この表現で良いかどうか専門に近い方にコメントいただければ幸いです。

 

5)天皇支配下の大日本帝国の政治システムでは、軍隊は皇帝である天皇の直属であった。各大臣は天皇に助言を与えるが任務であった。このような脆い国家には、外国の諜報機関が入る隙が多かった。第二次大戦は、外国機関からのスパイが大きな役割を果たした。

 

6)この質問に対する答弁は、「宗教団体が公職の候補者を推薦し、もしくは支持すること、またはこの結果、これらの者が公職に就任して国政を担当することを、この原則が禁止しているものとは、考えられない」というもの。春日一幸氏の質問とこの答弁の議論は、今後の予定書く予定。

 

 

(16:20編集あり、7/23早朝全面的に編集)

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