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2022年10月22日土曜日

習近平中国の「共同富裕策」と日本の「一億総中流」の類似

中国では全国共産党代表会議が開かれており、習近平が第三期の総書記を目指している。Motoyama氏(以下M氏)のyoutube動画がそこでの習近平の発言を紹介している。昨日(20日)は、習近平の共同富裕策の考え方についてであった。

 

 

習近平は、富の蓄積及びそのメカニズムを規制することで、共同富裕を実現すると言うのである。M氏は、それは共産主義の考えに忠実だが、共同貧困への道であると看破する。今回、私が理解するこの動画の主旨とM氏の言葉についての考察を書く。

 

この動画で興味深いのは、共同富裕策が世界で唯一成功したのは、1960年代の日本における「一億総中流」社会であると言う指摘である。最後のセクションで、それが成功した理由やその限界等について、習近平の中国と比較して少し考察する。

 

1)共同富裕策の具体的姿

 

習近平の発言の概要:

現在の中国による社会主義政策のスタイルは、昔(農業が主要産業であった時代)の共産党の考えと異なり、多種多様の労働とそこからの分配も認めたことである。その結果、一部の国民は企業の経営や不動産投資などの分野で働いて利益(社会からの分配)を得て来た。
 

その結果、一部の産業が成長発展し、関係する一部国民が豊かになった。しかし、生じた不公平や不平等は、解消しなければならない。そのため、今回、富の蓄積メカニズムを規制することになった。それは国民の希望でもある。
 

先ず、豊かになった富が合法的に得られたのかどうかを調査し、違法なら取り締まる。そして、労働者と経営者の富の差を調整する。尚、労働により収入を得ることが基本であるから、単なる投資による富の蓄積は禁止する。

 

この習近平の発言を聞いて、多くの人は喜んでいるという。これらの人々は、彼らを富ませて来た鄧小平の先富論を完全に忘れているのだろう。鄧小平の改革開放路線とは、先に豊かになれる者は富ませ、落伍したものを助ける義務を負わせるという方針であった。

 

習近平路線の共同富裕策は鄧小平路線の否定である。共同富裕策の実際は共同貧困策であることは、社会主義国の歴史が証明している。そしてその事実は、習近平が自分の権力維持のために意図的に見落としているのかもしれない。

 

或いは、本当に共同富裕が実現すると思っている可能性も完全排除は出来ない。現在、共同富裕策は、既に実行され始めている。その結果、学習塾は潰され、インターネット企業(アリババなど)等も叩かれ低迷している。その光景は、中国での共産党独裁による嘗ての農村経済の衰退に似ている。

 

つまり、農民が共産党員になり実権を握った結果、地主等富農が持つ土地、農業機械、畜牛などの蓄積された富が国(人民公社)に没収された。そして、地主は消され、農民たちは自分や家族の為に働く動機を無くし働かなくなった。その結果、結局中国の農業は衰退した。

 

それは、3000万人が餓死したと言われている1959-61年の大飢饉の原因である(補足1)富の蓄積が許されない共産党独裁の下では、努力し、土地を広げ、知識を積み上げ、少しづつ成長する農家の姿が消えるのである。

 

生産手段である土地と農具が共有されると、それらは能率的に使用されない。自由主義の世界のような、能力と意欲のある農民の増産や品質向上に努力する姿は無くなるのである。

 

それだけでなく、目立って能力を発揮することは自分の為にならないばかりか、むしろ危険だというのである。農業でもなんでも、共同富裕は共同貧困に終わるのである。
 

習近平は、自分の権力維持のために、反腐敗運動で政敵を追放する一方、国民を富裕層と貧困層に分けて富裕層を叩くというポピュリズムで政権維持を謀っているのである。それが共同富裕策の別角度から見た姿である。


 

2)共同富裕策と日本の一億総中流社会

 

1960年代の初め、一億総中流が日本のスローガンだった。それは共同富裕策によく似ており、そのような策が成功した世界唯一の例だと思う。政府の政策が素晴らしいと言うより、日本企業の経営に成功の理由がある。

 

年功序列や終身雇用という“素晴らしい”日本企業の人事(M氏の考え)があっての成功であり、普通の国では困難である。ただ、中国人元記者のM氏は、日本の企業経営の特徴に言及しているが、日本文化との関係については言及していない。
 

ここでM氏は、中国の悲しい現実について若干追加した。それは、習近平の共同富裕策で企業が倒産し、飲食店などが潰れるのを一般人は見て喜んでいるというのである。それは中国の大家族社会をユニットとする社会の特徴であり、厳しい大陸の歴史が生んだ庶民文化だろう。(補足2)
 

最後に、これからの中国経済と国家としての中国の没落を憂う言葉があり、ここでM氏の話は終わる。共同富裕策は、大陸で生じた中国文化とは相いれない。


 

3)一億総中流の日本型共同富裕策では、先進国の地位を維持できない(私論)

 

M氏が、周近平の共同裕福策と一億総中流時代の日本との類似性に言及したことは、非常に興味深い。伴に社会主義的であると言う説に納得する一方、一億総中流の日本型会社経営も所詮社会主義の欠点を共有していると私は思う。

 

例えば、機能体組織である会社が、年功序列や終身雇用で人材確保と人事を一通り可能にするとしても、その効率的運営には十分ではない。これらと情実人事は、まとめて日本型人事であり、日本の低迷経済の元凶の一つと考えられる。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12556307937.html
 

日本文化は沈黙の文化であり、我慢の文化である。議論と口論と喧嘩はまとめて悪とされる。例えば、17条憲法の第一条は、議論の不一致は障害であり、それを和で克服(つまり我慢)すれば、何事も成就すると謳う。それは意見の不一致を多角的観測と捉え、社会の改善につなげるという西欧の考えとは合わない。(補足3)

 

上下の和により、年功序列と終身雇用制を維持するのでは、労働生産性は非常に低く留まるだろう。しかしそれは日本版共同富裕策には必須である。
 

日本型雇用は、経済の目的は人々の暮らしの維持であるという共同富裕策の原則と、企業各部門への人材配分の両方を短絡的に実現することである。能力評価と適材適所の人事無しでは、労働生産性を揚げるのは無理である。その西欧型冷酷人事は、日本版共同富裕策を破壊する。

 

従って、日本型雇用及び人事は、低賃金が許される途上国型経済では成立し得ても、先進国となった後は経済発展の手かせ足かせとなる。その温存により競争力は低迷し、デフレの30年はそれを実証している。これを政府の財政的無策だけに帰するのは間違いである。

 

発展途上国と先進国の中間に甘んじるとしても、単独民族を信じる孤島でのみ成立するだろう。移民を多数受け入れる大陸的政治を模倣すれば、治安の悪化と政治的混乱を招くだけである。自民党米国追従政権は、その危険性が解っていない。

 

日本文化を温存したままでは、不自由の原因を議論で明らかにし、その解消を役割分担と契約で実現するという西欧文化の本格的実現は不可能である。法と人権と人々の暮らしを最優先するというのが与党の謳い文句だが、それは西欧文明の門前の小僧が習わぬ経を詠んでいるだけである。


 

補足:
 

1)Motoyama氏は言及していないが、このころは毛沢東による大躍進運動の時期である。産業発展には鉄の生産が重要だとして、全国で鉄の大増産が行われた。その結果、品質の悪い鉄が大量に生産され、それでも足らないのか、農民に農具などの鉄を供出させたという。ワイルドスワンなどの小説に詳しい。大量餓死の原因は一つだけではないだろう。

 

2)これに似た光景についてブログ記事を書いた。「中国人群衆の自殺見物と「早く飛び降りろ」の合唱について:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516516.html

また、広島と長崎への原爆投下は戦争犯罪だとは思わないと公然と言い放つ在米ユダヤ人たちとこの中国人の類似性も、このような大陸文化を考えると分かるような気がする。「ユダヤの圧力団体サイモン・ヴィーゼンタール・センターと日本」:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12762996977.html

 

3)17条憲法の第一条:和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。人みな党あり、また達るもの少なし。ここをもって、あるいは君父に順がわず、また隣里に違う。しかれども、上和(かみやわら)ぎ下睦(しもむつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

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