2015年8月12日水曜日

猫の駅長(タマ)が神社に祀られる:一体何のこっちゃ?

(1)和歌山電鉄貴志駅(和歌山県紀の川市)の駅長ということにして、一匹の猫(タマ)が客集めに利用された。その猫“タマ”が死亡したのがこの6月(2015年)であり、マスコミで広く報道された。例えば、文芸春秋9月号の巻頭のセクションで和歌山県知事がその業績を誉め、追悼文を書いている。そのタマが最近神社に祀られ、その神社を“たま神社”と呼ぶという。許容される冗談の域を過ぎた、愚かなことをする人々だと思う。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150810-00000093-mai-soci

そう思ってネットを検索すると、犬や猿、ウサギに亀、フクロウから伊勢エビまでを駅長と呼ぶところがあるらしい。http://www.nikkei.com/article/DGXDZO57782430W3A720C1W14001/ 日経電子版8月11日号に、このような傾向の調査結果が掲載されている。

この記事ではマスコット動物(注釈1)と呼んでいるが、辞令を貰って駅長になり、出世して社長代理になり、死んだ後には神社に祀られる猫を”西欧語マスコット”で表現するのは無理だろう。ペットとして飼われる“動物”と飼い主の“人”との距離が最近近くなり、飼われている動物をペットではなく、“伴侶動物”と呼ぶ風潮が高まっているという。動物が死ぬと人間同様葬式を営む人が最近増えているらしい。

そのような傾向に乗じて、猫に駅長の帽子を被せたら、結構人集めの効果があったので、辞表を用意して役員や社長代理に出世させた。死んだら、神社までつくるというのは、冗談にしても度が過ぎて、気が触れているレベルの話だと思う。一定数の度を超した猫好きはいるので、ある程度客は集まるだろうし、海外の人は極東で何が起こっても珍しければ喜ぶので、営業的には成功することは勿論判らんでも無い。

しかし、それは相撲などの“禁じ手”と同じだろうと思う。その成功を見て、サルや亀まで駅長にしてしまうと、海外の方もノーマルな文化を持っていない国だと思う様になるだろう。恥ずかしくないのだろうか。

この“駅長”という時の言葉の軽さは、良く言えば発想の軽妙さであり、悪く言えばこの国の言語文化の根の浅さを表わしている様に思う。駅長という言葉には相応の重みがある筈である。

(2)タマ神社の様に”禁じ手”を用いて客あつめをするのは、独創的などでさえなく、実は昔からあった。その話に入る前に、神道の変質について少し言及したい。

神道は日本文化の中心的存在であり、人々が恐れを抱く山(例えば御岳山)、海、太陽などを祭り、噴火、津波、干ばつなどの災害が人々を苦しめない様に祈る原始的な宗教である。社殿はもともと祈りをする場所であり、神を祀る場所ではなかった。従って、社殿の無い場合もオリジナルな神道では普通であった。神道には教義も聖典も無く、従って偶像崇拝も禁止していない為に、変質しやすい(注釈2)。実際、政治利用により大きく変質した。

日本列島に天皇家が進出するようになると、その英雄や天皇家の神器などを祀るようになった。現代日本人の視点では、神道は建国神話とともに、日本国をかたち作るのに役立ったと言う事になるのだろう。更に、歴史上の英雄、徳川家康や伊達政宗などを祀るようになり、“神道”は日本で大きく変質した(注釈3)。

その類いの神社が増えるに従って、参拝者を増加させるためか、怪しげなものが祀られる様になった。つまり、”禁じ手”を用いた経営立て直しの様なものである。例えば、愛知県にある田県神社のホームページのトップを飾るのは、社殿の中に祀られている大きなペニス模型である(注釈4)。子宝に恵まれるようにとか、安産祈願とかはこじつけに聞こえる。一族が今後存続します様にと願うまでは良いとしても、それ以外の安産祈願や合格祈願など自分の都合を何でも神様に願うのには、元々の神道の姿からは遠く、違和感がある。(神道をバカにしていると思う。)

田県神社から直線距離で3kMほどの場所に尾張二宮の大県神社があり、尾張開拓の祖神の大県大神を祀る。また、その娘である玉姫命も姫の宮という社に祀っている(http://www.ko-kon.net/hokan/ooagata.html 及び注釈5)。実は、この同じ玉姫命を田県神社も祀っている。田県神社が祀るもう一つの神は“御歳神”であり、これも葛木御歳神社(奈良県)という別の神社が祀っている。大県神社と葛木御歳神社は律令制下に置ける名神大社の一つである。https://ja.wikipedia.org/wiki/名神大社

田県神社は葛木御歳神社や大県神社と比較して格式に差があるところを、思いきった展示物で人気挽回を図ったのではないかと想像する。関心はあるものの、隠さねばならない性のシンボルまで祀る対象にするのは、やはり禁じ手だろう。偶像崇拝でも何でも許し、更に宗教的タブーも無い、いい加減な宗教だという印象を持たれることを危惧しないのだろうか。

あげくの果てには、客集めの猫までが社殿も鳥居もある神社の神体となってしまったのである。

注釈:

1)クロネコをマスコットにしている運送会社や、アヒルをマスコットにしている保険会社がよく知られている。この程度がマスコットであり、辞令をだして社長や社長代理にはしないだろう。

2)世界的な宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じ源を持ち、偶像崇拝をかたく禁じている。

3)神道のオリジンは朝鮮半島であると言う説がある。日本海側にある白山信仰はそれを裏付けているという。

4)田県神社のHPには、「特に大同二年(807)に編纂された古典『古語拾遺-御歳神の条-』の故事に基づいて男茎形を奉納し祈願する俗習がある」と書かれているが、何時頃始まったかについての記述はない。壱岐の郷ノ浦港近くの塞神社などにも祀られているので、動物駅長同様、特別珍しい訳ではなさそうである。

5)大県神社にも小さな社に女陰を意味する石が置かれている。何度も参内したが未だ見つけていないので、意識して探さないと見つからない。これらが何時頃から置かれたのか解らないが、これも単に客集めだろう。

(8/12;19:00改訂)

1 件のコメント:

Q-kazan さんのコメント...

猫駅長はゆるキャラの普及と同列。テレビの各種ナレーションも殆ど幼児向けの話し方。要するに日本人の平均精神年齢を12歳から更に下げようという、企みです。首謀者は誰なのでしょうか。