SEALDSの若者が国会前でデモをして、安保法案に反対している。その理由は、「戦争に行きたくないからだ」だという。それに対して自民党の若手議員の1人が、「自分が戦争に行きたくないと言う理由で反対するのは、利己的だ」とか「戦争が嫌なら、中国大使館前でデモしろ」とか、つぶやいて批判されている(Twitter)。
この若手議員は、当たり前のことを言っただけだと思う。それを問題にして騒ぎを大きくしようとしている民主党など野党の連中は、非国民と言われても仕方ないだろう。「戦う気迫と姿勢が、戦いを防ぐのだ」という理屈が野党の方々には理解できない様で、そんな方々と国会で議論する与党の議員は気の毒だ。
つまり、戦争したくないのは誰も同じ。「チベットのように中国の属国にされた方が戦うよりましだ」と自分だけで考えるのならまだしも、それをデモで訴えるのは自分勝手といわれても仕方ない。
現代は主権国家の内部だけが唯一「法の支配」が行き届いているのであり、その境界を越えれば、命の補償も基本的な人権の補償もないのだ。北朝鮮に拉致された人のことを、わすれたのか?
日本に帰れず死亡した人もいるだろうが、その残念な心の内を想像したことがあれば、主権国家の境界を防衛する意味がわかるだろう。SEALDSの「だって、戦争に生きたくないもん」というのは、拉致被害者のことも、「だって、自分の事じゃないもん」といって片付けてしまうのと同じなのだ。
従って、その主権国家としての壁を守るためには、国民は一定の覚悟を示さなければならない。戦う覚悟なくしては、覇権国家の下で呻吟するしかなくなるのだ。韓国が未だに反日姿勢をとるのは、将に軍国主義の日本に併合されたからである。(従って、韓国の悔しさには一定の理解を示す必要がある。)
補足:
議論すべき大切な事は:1)日本の置かれた国際環境の変化はどのようなものか;2)主権国家の体裁(戦後70年間、十分な形に整える事が出来なかった)を整えるとしても、それがどの程度緊急の課題なのか、そして、どこから手をつけるべきか、だと思う。
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