磯崎総理補佐官の「法的安定性などどうでも良い」発言が攻撃されている。来週国会での参考人招致が決っており、注目される。この問題については昨日のこのブログに書いたが、昨日のテレビ番組「ひるおび」でも話題になっていた。またヤフーニュースにも報道されている。それら二つの報道での、「法的安定性」の解釈が、”ちょっと違うのではないか?”と考えて、再びこの問題について書くことにした。
理系のズブの素人が、法学上の問題について書くことには相当抵抗を感じる。そこで、最初に責任はとりかねると宣言した上で、思ったところを正直に書く。
「ひるおび」で宮崎 哲弥氏が本来の「法的安定性」の定義を遠慮がちに言っていたが、おそらく解り難い話になると番組が終わってしまうという危惧から、番組担当者がごまかすことにしたのだろう。視聴者をバカにしているのだろう。
ヤフーニュースの定義(ほとんど昼おびでの定義に等しい)に関した部分を抜粋すると:
―礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案について「法的安定性は関係ない」と発言したことに野党が反発しているけど、そもそも法的安定性とは何?
法律の内容や解釈を安易に変えてはいけないという原則だ。法律が頻繁に改正されて「朝令暮改」になったり、勝手気ままに運用されたりすると、国民は安心して生活できず、社会も混乱する。野球の試合中にルールが変われば、選手が困るのと同じ。だから法的安定性は重要なんだ。
と書かれている。
しかしここに書かれているのは、法学の論文に置ける「法的安定性」の定義とは異なる様だ。慶応大学法学研究科の発行する“慶応法学”2014年4月号351頁に掲載された論文、“法的安定性の概念:撞着語法か冗語法か”
を読むと、昨日の”ひるおび”で宮崎哲弥氏がちらっと言った様に、「法的安定性」とは法の予測可能性を意味している。論文の9頁目に以下のような記述がある。
法的安定性に関する二つの概念を区別することができる。
狭義の概念: 法的安定性は、裁判所の判決の予測可能性にある。すなわち、裁判官は包括的な規範を機械的に適用する。
広義の概念: 法的安定性は、すべての法執行機関によってなされる決定の予測可能性にある。すなわち、法創造と法適用を明確に分けるシステムに見出されるものである。
この 2 つの概念の共通点は、明らかに、法的安定性とは、古くから形式主義が思い描いてきた― あるいはむしろ夢見てきた― 法の機械的適用である、 ということてである。したがって、法的安定性は、法が前提とする規範や行為の階層性に裁判官―あるいは、より一般化して、法執行機関― が従う場合に獲得てできるかもしれない理想なのである。
つまり、法が“明確に現実の対象を、例えば、違法と合法に割り振ることが出来るかどうか”が「法的安定性」の意味である。
上記ヤフーニュースの、“法律の内容や解釈を安易に変えてはいけないと言う原則”が磯崎氏の発言と関係しているとしたら、それは”憲法解釈を変えること”だろう。もしその主旨の意見なら、それは現憲法が法的安定性に欠けるからである。非難されるべきは憲法であり、磯崎氏ではない。
一方、磯崎氏が言った法的安定性は、現在審議中の安保法案に関する法的安定性だろう。つまり、若干玉虫色の法律かもしれないが、それをあまり議論していると、日が暮れて(つまり、逼迫した国際環境の下)間に合わないと言いたいのだろうと思う。
因に、法的安定性の的であるが、これは元々助詞の「の」に当たる。中国語の“我的同志(わたくしの友だち)”の的が、日本語に輸入されたのだと思う。つまり、現在制定を審議している“法律の安定性”が多少緩くても良いではないかと磯崎氏が言っているのだと思う。法的安定性の定義がしっかりしていないと、批判の矛先がぶれてしまうのだ。
ヤフーニュースの解説文を利用すると、“法律の内容や解釈を安易に変えてはいけないという原則だ”ではなく、“解釈がころころ変化するような法律を制定してはいけない”が、正しい「法的安定性」の解釈だと思う。両方似ている様だが、前者は既にある法律を対象にしているが、後者は今後制定する法を対象にしている。つまり、全然話が違うのだ。
補足:
1)ヤフーニュースのアドレス:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150801-00000034-jij-pol
2)慶応大学の論文サイト:http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AA1203413X-20140423-0351.pdf?file_id=91497
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