2015年8月6日木曜日

原爆記念日に考えたこと:日本の今後と核兵器

今日は広島に原爆が落とされた日である。原爆により14万人の一般市民が殺された。この大量虐殺(man slaughter)は、ナチスのユダヤ人虐殺と同じ類いの犯罪である。原爆資料館にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文は、この人類の歴史の一頁に関する無理解、更に、この事実を隠す意図すら感じさせるものである。

この件、人類の歴史上類を見ない犯罪であるにも拘らず、また、日本がその被害者であるにも拘らず、その様な評価を口にすることを禁じる“空気が日本を支配”しているようである。その結果、核兵器への不思議な拒否反応が存続するだけでなく、「核や原子力という言葉」自体に対して、まるで祟りを恐れる様に忌避する感覚が日本人を支配している。

この日本人の核兵器アレルギー現象は西欧人には非常に不思議だろう。何故なら、それは、例えば、強盗に親族がピストルで射殺されたという理由で、その遺族がピストルアレルギーになる様な現象だからである。論理的思考が働けば、今後そのような悲劇を避けるべく、自分達はピストルを持とうというのが普通である。

昨夜のNHKのテレビ番組、クローズアップ現代でも、生存者の被害情況等の聴き取りや、被害現場と資料の保存などに話が及ぶのみで、「何の為に、原爆被害について記憶を新たにしなければならないのか?」についての言及や議論は皆無であった。原爆投下の事実とその経緯や原因・誘因などについての論理的解析は、まるで宗教的タブーの領域にある様な感じである。

核兵器は上空から投下され、巨大なエネルギーで町を破壊したこともあり、日本人の多くにとって、それを落した犯人とそれを落させた犯人が意識の外に遠ざかり、原子爆弾を悪魔の意思が臨在した存在、例えば地震や大嵐と似た感覚で把握されているのだろうと思う(注釈1)。

現実的でかなりの能力をもった政治家の反応は違っていた。1957年に岸信介総理が、そして1964年には佐藤栄作総理が(注釈2)、核武装の必要性について言及している。しかし、その後の1967年の小笠原の返還交渉に当たっての国会での論議の際、野党の反対を避け円滑に話を進める為に、佐藤総理が非核三原則を米国に主張する旨答弁した。それ以後は、表の舞台で核武装の必要性について言及した政治家は非常に少ない(注釈3)。

核兵器は21世紀の国際政治の方向を決定する(注釈4)最重要な武器である。それは、世界が再び経済的に行き詰まる時に、威力を発揮するだろう。2008年米国情報機関により発表された”グローバルトレンド2025”は、「世界人口は現在(2008)の68億人から2025年には80億人になるだろう。この人口増加の為に、食料・エネルギー資源・水資源などの獲得競争がおこり、各国のナショナリズムが強くなり、大国間の衝突や紛争に発展するかもしれない」と予測する。

“自滅するアメリカ帝国(2012,文春新書)”の中で著者の伊藤貫氏は、その頃、ナショナリズムの悪夢を再び人類は体験するかもしれないと書いている。最大の経済と軍事力を持つ国を隣国に持つ日本は、どう生き残るだろうか?そして、この問題の鍵となるのが中国が大量に持つ核兵器である。

ナショナリズムの高揚は、適性民族の非人間化をもたらしたのが、ナチスの犯罪であり原爆投下であった。そのような事態が、世界政治の多極化、人口増加、資源不足、経済低迷、ナショナリズム高揚、西欧的規範の消失(国際法など;注釈5)により、再び我々人類を襲う可能性が高いのである。問題にたいして何の対策もとれないとしたら、広島と長崎で原爆の灼熱地獄の中で死んでいった20万人以上の同胞の犠牲を全く無駄にすることになるのだ。

私は昨日一冊の本を発注した。それは日高義樹著の「日本人の知らないアジア核戦争の危機」である。その日高氏は最近もう一冊重要な本を書いている。その「アメリカが日本に昭和憲法を与えた真相」のおびには、“平和憲法は日本への報復だった”と書かれている。

伊藤貫氏の著書の中に、最も重要な核兵器の歴史における働き(或いは効果)が記されている。それは、「第一撃で破壊されない核兵器を数発持つ国は、全ての核保持国からの攻撃を避けることが出来る」という点である。つまり、50年後或いは100年後に生き残る可能性の高い国は、日本ではなく北朝鮮であるということである。

注釈

1)この言語感覚は、日本に独特であり、アニミズム的宗教が支配していることが原因であると思う。自分を取り囲む物の内巨大なもの、例えば山や海、更に大木や大河などに魂や神の臨在を感じるのである。そして、一般に日本人は言葉にも臨在意識を持つ。不幸なことを口にすると、それが実現してしまうことを恐れる。そして、『縁起でもない事を言うんじゃない!』と言って叱られた記憶が誰にでもあるだろう。その支配力は論理よりも強いのだ。

2)1963年に核兵器の独占を目指した米英ソの3国は部分的核実験防止条約を提案し、池田内閣はいち早くそれに調印したが、中国やフランスは調印しなかった。そして、1964年に中国が核実験に成功し、日本は中国からの核兵器の脅威にも晒されることになった。佐藤栄作総理の発言はこの時のものである。

3)その数少ない一人、核武装の必要性を公にしていた自民党の俊才中川昭一氏は不思議な酩酊会見の後、死亡した。孫崎亨氏(“アメリカに潰された政治家たち(小学館2012)”の著者)に何か特別な理由はあるのか、聞きたい気持ちである。

4)国際政治の方向を決定する、核兵器の最も重要な性質は、第一撃で破壊されない核兵器を数発持つ国は、全ての核保持国からの攻撃を受けないだろうという点にある。つまり、ナショナリズムの嵐の中で生き残れるのは核保持国だけかもしれない。

5)国際法は西欧の政治文化の中で出来上がった。多極化で中国など西欧以外の国がヘゲモニーを執る様になると、そのような文化と無関係な行動をとる。戦争は。クラウゼビッツの説く形ではなくなり、モリオリ族の悲劇が再び戦争の形になるかもしれない。

1 件のコメント:

Q-kazan さんのコメント...

日本には、「世界で唯一核兵器攻撃を受けた国として、日本は、核兵器所有を拒否する」と言う人が多い。
私は、「世界で唯一核兵器攻撃を受けた国として、日本は、核兵器を所有する権利が在る」と思っている。