2016年10月10日月曜日

サイエンスを専攻するのは経済的には愚かな選択だ

ノーベル賞を日本人が連続受賞してニュースになっている。今年のノーベル生理学医学賞受賞の大隈博士の研究成果は大変レベルの高い素晴らしいものだった。autoが自分の意味で、phagyは食べるという意味であることを、日本人全てが知ったのも素晴らしい。賞金の一億円弱は、低金利時代を反映して昔に比べれば低くなったが、それでも我々には夢のような話しだ。

ところで、サイエンスの世界で日本のトップの20人くらいのノーベル賞受賞者の経済的待遇の平均は、おそらく凡庸な霞ヶ関の次官経験者より低いだろう。(ただし、米国人になった中村氏が日本人のままなら話しは別かもしれない。)

況してや、産業界のトップ20人をとれば三桁ほと違うだろう。ソフトバンクを首になったニケシュアローラは二年間で200億円以上の給与をもらっていたのだから。その首を切った親分は配当だけでも毎年その程度の収入がある。また、昔河原乞食と言われていた芸能界を取っても、トップ20人の待遇は一桁以上上だろう。

昨日のそこまで言って委員会でレギュラー出演している落語家が、「最近税務署が自分のもとにも盛んに財産調査に来ていて、何やら増税の予感がする」と言っていた。その落語家もサイエンスのトップ20人よりも経済的に恵まれているだろう。

好きなことをやっているのだから、待遇が低くても満足している筈だという意見や発言が聴こえてくるようだが、それは本音ではない。ノーベル賞を貰えば、だれでもそう言うだろう。

受験生諸君。理系は卒業後に産業界への転身や文系に鞍替えするつもりで行くのなら良い。しかし、真面目にサイエンスの研究をやろうと思うのなら貧困を覚悟の上なら兎も角、そうでないのならやめた方がよい。霞ヶ関でも文官は、技官(理系国家公務員)を小使いさんの様な目で見るのだ。

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